明け方に見た夢

それは、おそらく明け方だったのだろうと思う。

友人Sの夢を見た。
会議のような風景。手振りを加えて笑顔で話すS。話し終えてSが目を瞑った瞬間、Sの顔が棺の中の顔に変わったところでガッ!と目が覚めた。部屋には鈍く弱い光が射していた。

友人Sが旅立って今日で一ヶ月。
この一ヶ月とい言う時間が、あっと言う間だったのか、長かったのか、そのどちらでもないのか、今の私には解らない。解っているのは、Sの事はもう「過去形」でしか語る事が出来ないと言う事か・・・。

フとSに肺気腫の事を告げられた日の事を思い出した。
記憶を辿ると、それは2006年の9月頃だったと思う。何とも言えない不安感のようなものに苛まれながらも東京に戻った事と、Sを凄く優しい人だと感じた出来事が思い出された。

あの日、Sと別れた後の帰り道で友人Mとこんな話をした。
「イマドキの中学生ならさ、オトナの世界には嘘や汚い事が溢れている事くらい知ってるさね。それなのにSはさ・・・ホント、良いヤツ過ぎるよね・・・」
肌寒ささえ感じる真夜中の空気。私達の口調はどことなく”しんみり”としていた。

この年の夏、期間限定でSは学習塾で中学生に数学、英語、理科を教えていたんだそうだ。教えるからには手抜きはしたくないと、Sは教科書に一通り目を通したと言う。その塾は所謂進学塾ではなかったらしいので、教えるのは簡単な事では無かったんじゃないかと思う。

そんな或る日。
Sは塾から急遽後任の講師が決まったので、残りの期間はあるけれども今日であがっていいと言われたんだそうだ。Sはあと一回だけ教えたいと言ったものの、後任の手前があるのか塾側はSの申し出を断ったんだそうだ。

Sがあと一回教えたかった理由はこうだ。
その日生徒達が解らなかった箇所を、次回必ず解るよう教えると言った事。それなのに次回自分が来ないと言う事は、生徒達に嘘をつく事になる、と。こう言う事で、子供達は大人って奴らは嘘つきだ!と思うかも知れない。子供達にそう言った思いを抱かせてしまうのは、凄く悲しい事だと。
この時、仕事では時として誰かを蹴落としてでも結果を出して来た自分が、もの凄く小っさい人間に思えて恥ずかしくなった。

Sは何時だって相手を思い遣る心があって、凄く優しくて、良いヤツ過ぎて、そして純粋な人だった。そんなSが皆大好きだったと思う。それなのに、ガンはSの命を奪ってしまった。こんな、こんな理不尽な事って・・・。

やっぱり私は未だにSがこの世に居ない事に納得出来ないでいるんだな・・・。

枯れ果てているとしても

無職となった私の一日は、何ともシンプルなものになった。

睡眠。食事。考え事。ぼーっとする。お経を聞く。時々般若心経を写経。はてなに日記を書く。
な、何か・・・枯れ果ててると言えなくも無いような・・・(汗)

今は真剣に仕事を探していない。
自分は何時迄生きられるか分からないけれども、何十年かある人生の中で労働をしない時期が数ヶ月あってもいいんじゃないか、って思っているんだけれども、この考えは戦中生まれの両親にはどうにも到底理解出来ないらしい。

良く言えば自由人、悪く言えば廃人ってトコロか。
どちらも間違ってはいない。そして、どちらも正解ではない。

枯れ果てた植物には時期が来れば雨が降り注ぎ、陽の光を浴びて、やがて芽吹き花咲く時が来る筈だ。

だから、枯れ果てていても良い事にしよう、今は。

「生き方」「逝き方」そして、問いの答え

これ迄の人生で友人を亡くした経験が無かった私にとって、友人Sの死は余りにもショックが大き過ぎる出来事だった。

去年の秋スープカレーの大盛り食べてたSが、冬には入院、闘病生活。そして、春にこの世の何処にもいなくなってしまうなんて・・・。ガンが判ってから半年も経って無かったんだよ・・・。

この出来事によって、自分がガンになった時、自分はどのような選択をするのだろう、どのような治療を希望するのだろう・・・と考えるようになった。

ガンのステージに関係なく告知は絶対にして欲しい。
抗ガン剤による治療は希望しない。
末期の場合は、痛みを緩和する治療のみを希望する。

何だか遺言みたいになっちゃって、ちょっとコワイけど・・・(汗)
何と言うか、ガンだと判ってしまった後の「生き方」が「逝き方」になってしまうとしても、でも、やっぱり自分で方向を決めて行きたいんだな、と。

未だ立っていない場所。未だ見ていない風景。未だ見上げていない空。未だ聴いていない音。未だ通り過ぎていない風。未だ感じていない空気。

身体が動くうちに、自分がやりたい事を「ただただやりたい」な、と。ずっとずっと病院の中は悲しいな、と。

そんな事を延々と考えていたら・・・猛烈に気が重くなってしまった・・・。
自分はSのように達観したものの見方が出来る人間では無いから、冷静さを失い悪い意味で感情に流されるままになるんじゃないか・・・。

嗚呼・・・坐ってみても問いの答えは出ず・・・。
で、諦めてDVD観ました。

キャラバン [DVD]

キャラバン [DVD]

自然。厳しさ。優しさ。死。そして、生きると言う事。
大切な事は、或る日何かに因って教えられたり、齎されたりするものなのかも知れない。だから、問いの答えは今日出なくてもいいのだ、きっと。

その人と縁のある文字

御歳92歳になる母方の祖母の家の仏壇には、戒名の一部が赤字で書かれた位牌が収められている。

赤字で書かれているのは祖母の戒名。戒名は生前に授かる事も出来る。位牌の赤字は、故人ではない事を表している。お墓参りに行った時に、墓碑などが赤字だったりするのも同じ理由。何でも、生前に戒名を授かる場合は、希望すれば自分の好きな字を戒名に入れてもらう事が出来るんだそうだ。

むぅぅ。戒名、ねぇ・・・。
確か、三途の川を渡る時に戒名が必要なんだったっけ?

寺院で働いていた人間がこんな事を言うのも何だが、私は、私がこの世を去った時は葬儀も戒名も必要無いと考えている。

運良く!?この先老人と呼ばれる年齢迄生きたとしても、間違いなく一人身であろう自分。それであれば、何も葬儀をする迄もないよなぁ・・・と。戒名については、死んでしまうと違う名前が付くってのもなぁ・・・死後も生きて来た名前でいいんじゃないの?と思っていたワケです。

んがーしかし。
友人Sの旅立ちを見送って、葬儀、戒名に対する考えがちょっと変わったような気がする。何と言うか、葬儀や戒名と言うのは、故人を送る事は元より、残された人間が死と言う受け入れ難い現実を、それでも受け入れる為にもあるのかな、って。

いや・・・それでも私にとって、友人Mのお父さんの死も友人Sの死も未だ未だ受け入れ難い事ではあるんだけどね・・・。もう、二度と会う事も話す事も出来ないんだ、この世に存在しないんだ、って思うと悲しみはむしろ増殖してる・・・。

友人Sの戒名は、彼が彫刻家であった事を偲ばせる字が入っている戒名だった。
戒名を見て、Sが何かを造る事に縁があった人だと思ったり、Sの作品を思い出したりするのかも知れない。92歳の祖母の戒名は、庭仕事が好きな祖母の希望で「花」の字を入れている。戒名を目にした人は、花と縁がある人なのかな?と思うのかも知れない。

文字で故人を偲ぶ、って言う事もあるのかも知れないね。

で、私は・・・。
運良く長生き出来たとしたら、やっぱり自分の葬儀と戒名は必要ない考えに変わりは無いかな・・・(苦笑)

壊れてます。ええ、壊れてますとも〜!

寺院で働いていた一年の間には、何気に色々な出来事があった。

昨年の冬、以前長く勤務していた会社が今年3月で廃業する事を知る。
退社する時、自分としては”持って3年”と予想していたので別段驚きはしなかったし、昨年の春に大々的なリストラをした事も聞いていたので「ああ、やっぱりね・・・」と思う。

最後迄会社に残ったのは、殆どが40代、50代の女性社員だったそうだ。
で、最終的に親会社に拾ってもらえたのは、20代前半の女性社員2名だけだったらしい。キャリアより若さ、か。いや、何とも世知辛い世の中だよな・・・。

会社が廃業した事には特別な感情は無いんだけれども、会社の存在そのものが無くなった事で、自分が遣り遂げて来た事なんかが全て「無」「零」になってしまったような、奇妙〜な感覚に襲われて・・・。

東京勤務最後の方はグダグダになってしまったけれども、私は理屈抜きに仕事が好きだった。別れや失恋とか辛い事があっても「よっしゃー!もっと仕事するぞーっ!!」って。目標に対して思い描いた通りの結果が出ると嬉しかった。

多分、根本的に自分が好きで興味がある事を仕事にして来たから、仕事が好きだったんだと思う。それ故に長い間ずっと突っ走って仕事をする事となり、結果「燃え尽き症候群」になってしまった、とでも言うか・・・。

長い間好きな事を仕事にして来られた自分は、つくづくラッキィだったんだと思う。ラッキィだった分、今になって何かと壊れちまったのかもな・・・(汗)

ま、でも。
壊れてしまったからと言って、必ずしも自分の存在が「無」や「零」になるワケでもあるまい。少しずつ、ゆっくりと直して(治して、か)行けばいいさ、きっと。

地獄の沙汰も・・・

寺院での仕事は全般的にまったりしたものだったけれども、仕事内容はと言うと、結構シビアなものが多かった。

葬儀、法要、月参り、納骨、各種供養、等々・・・どれも皆、基本的にはお金(お布施)抜きでは語れないものばかり。全ての寺院がそうなのかは判りかねるが、寺院では夫々の内容に応じてお布施の目安があるらしい。

むぅぅ・・・お布施って、お布施って・・・。
私が思うお布施と言うのは、その人が「包みたい」と思う金額を包めば良いのであって、目安を訊かれた際には「お気持ちでよろしいのですよ」とお伝えするものかと思っていたのだが・・・。

まぁ、でも、そんな事を言っていたら寺院の経営は成り立たないのだろうし、お経は一つのサービスで、そのサービスに対しての対価がお布施と呼ばれているだけの事、と言えばそうなんだけれどもね。

サービス、か・・・。
そう考えると、今後は寺院もどんどん淘汰されるような時代がやって来るんじゃないかと思っている。団塊世代がこの世を去って行くであろう後15年前後は概ね大丈夫だろうとは思うが、その後の、団塊より下の世代の葬儀や寺院に対する感覚は、それこそ激変しているんじゃないか、と。

このところ、東京のような都会を中心に「直葬」が増えて来ているのもその予兆なのかも知れない。何と言うか、寺院とか葬儀とかこれ迄は”何となく関わらないワケには行かないような”と思われていたものが、これからは”自分にとって必要無いと思えば関わらなくとも良い”みたいな価値観も増えて行くのかな、と。

何と言うか。
この先、お布施もデフレの影響で”価格競争”にさらされる、なんて事が絶対に無いとは言えなように思う・・・。そうなると、良いサービス(お経)が提供出来ない寺院や、サービス(お経)と価格(お布施)が釣り合わない寺院は淘汰されて行く、なんて事が起こり得るのかも知れない。

競争社会の行き着く果ては、殺伐とした荒涼とした土地で、人々はそこで何に光を見出す事になるのだろう・・・そんな事をフと考えてしまった。

はてな空白の一年間に

はてな空白の一年間。
何をしておりましたかと言うと、寺院で働いておりました。
出家して尼僧さんに成った、とか修行していた、とかでは無く普通〜に寺院の職員として。

元々寺院を訪ねたり、宿坊に泊まったりする事が好きだった故、採用が決まった時は「これも仏様のお導き。これからは、心穏やかに勤めてまいりましょう」と、それはそれは粛々と決意をしたワケです。

んがーしかし・・・。
その決意から一年。契約の更新をせず寺院を辞めた私は、一年振りに晴れて!?無職の身となったワケでして・・・(泣笑)

住職さんは人格者で素晴らしい方ですし、お坊さんも皆さんお優しい方ばかりで。寺院と言う特性上、一般社会とは異なる事柄も多く戸惑う場面も多々あったりしたけれども、仕事そのものはのんびりとしていて良かったかな、と。

他の女性職員も、多少クセはあるものの基本的には心根の良い方ばかりだったんですが、一名どうしようもない「キチガイお局」がいたワケです・・・。ま、私が契約を更新しなかった理由はこの「キチガイお局」の存在以外の何ものでも無かったワケで・・・。

「最近何か面白い事ないの?」がコイツの口癖だった。
コイツにとって面白い事=他人の粗。コイツにとっての生きがいは、日々他人の粗探しをして、重箱の隅をこれでもか、これでもか、と突付いては罵声を浴びせ、怒鳴り散らして、下らない言い掛かりを付けてはチクチクチクチク相手を責める事。そのクセ、自分のミスには最大級に寛容。そして、食べ物に対する桁外れの「卑しさ」と、下品極まりない所作の数々。

こんな事の一体何が楽しいのだろう?50歳近い人間のする事か?御本尊様に対して恥ずかしいとは思わないのか?修行したワケでも、ましてや僧侶でもないのに何なんだ、大概にせーーーーーーいっっーーーーーーー!!!

こんな事が毎日のように続くと、流石に身体に変調をきたすようになっていた。
不眠、偏頭痛、慢性的な疲労感、手の痺れ、過食、等等。コレはマズイと思い近所の病院に行くと、原因はおそらく精神的なものだと言われ・・・。

そんな或る日の事。
会議用に指定されたお菓子を、指定された器に盛り付けていたらキチガイお局の罵声が飛んで来た。理由は、自分に断りも無く菓子を盛るとは何事か、と。
「誰がいいって言った、何様のつもりだ、何で言わない」を延々と繰り返すキチガイお局。

今の今迄、菓子を盛る時はキチガイお局にお断りするなんて決まりは無かった。それに、何時だってお菓子と器は遅くても前日迄には「これでよろしいでしょうか?」とキチガイお局に最終確認していた。それなのに延々と罵声を浴びせられるって・・・何?。

何か、もう・・・下らないにも程がある・・・。

そんな事が有り。
この日、私は契約の更新はしない事を心に決めるに至ったワケです。
ここ迄下らない精神を持ったキチガイお局と戦うなんて有り得ないし、こんな事は人生の修行に値しない。単なるキチガイの一人祭り。余りに次元が低すぎる。

寺院の仕事そのものは好きだったし、一般社会では経験出来ないような事もたくさん経験出来たし、残念と言えば残念なんですけど、ね。

退職後も、キチガイお局から健康保険証の強制返還(コレ本当は駄目でしょ?)や、離職票をなかなか出さない、しかも退職理由は自己都合と記入される、等のバカげた無意味な嫌がらせは多々あったが、もう「下らない」とさえ思う事も無かった。

まぁ、でも、何と言うか。
今は精神的にも身体的にも先ずは”休め”って事なんじゃないかと思う。それに、仕事を辞めたからこそ、友人の旅立ちを悲しみに暮れながらも見送る事が出来た様な気がする。

そうするよう、きっと何かが導いてくれたのかも知れないね。