送られる事の無かった手紙

私の手許に送られる事の無かった一通の手紙がある。
送る事が出来なくなってしまったその手紙は、友人Sが旅立つほんの数日前にS宛に書いたものだった。手紙を投函する前にSが旅立ってしまったのだ。

この一月余り、私はその手紙が入れられた封筒を敢えて手にしなかった。きっと、封筒に記されたSの名前を見るのが辛かったんだと思う。弱ってるよな・・・自分。

夕刻。PC周りを片付けていたら、敢えて目に付く事のないようにしていた筈のS宛の手紙を見付けてしまう・・・。嗚呼、ど、どうしよう・・・。

漢字で書くとちょっぴり画数が多いSの名前。そのせいかどうか分からないけれども、Sは自分のフルネームをカタカナで書く事が多かったっけ。友人Mとよく「スガシカオ、みたいなの狙ってたりとか?なのか?」って言ったっけ。

そんな事を思い出しながら、夕暮れの部屋で思い切って封を切ってみた。この手紙を書いた時の自分の心境なんかが、ぼんやりとだけれども甦って来た。

この手紙を書いた時、私はSの病状が何らかの治療法で良い方向に向かっているよう願っていた。Sは強い人だからきっと札幌に戻って来るって。だから、書いていて涙は無かった。あったのは、ただひたすら希望だけだった。

封筒からは三枚の写真が出て来た。
嗚呼、そうだった・・・。Sに元気になって欲しくて、旅先で撮った夜明けの写真同封したんだった。「明日の夜が明ける時、君が今日よりも元気になりますように!と願って」と言うメッセージと共に。

そして、手紙を書いた数日後。
私の願いは叶わず、友人Sが永遠に夜明けを迎える事の無い日がやって来てしまった。その日、私はS宛の手紙を目に触れぬ場所にそっとしまった、怒涛の如く溢れる涙と共に。

生きている限り日々夜明けはやって来る。それがどんな夜であったとしても、朝は必ずやって来る、そう、生きている限り。その夜が、どんなに辛く悲しいものだとしても、それらを”ひっくるめて”朝はやって来るのだ。それが、生きて行くって事なんだね、きっと。