「四十不惑」いいえ、自分は「四十惑」です

「四十不惑
意味:四十歳で人生に迷わなくなること。 
孔子は四十歳になったとき、自らの学問に対して自信を固め、道理も明らかになり、人生の問題に迷うことがなくなったという。

むぅぅ・・・。
自分は、四十歳になった頃から人生の問題に迷い続けているだな、これが・・・。

十代は興味のある事を勉強したくて、デザイン科のある学校に進学。服飾やインテリアデザイン等を勉強。

二十代は学校で学んだ事を活かしたくて卒業後はアパレルメーカーに就職。ハードだったが、ひたすら仕事が楽しかった。

三十代は、ハードだけど楽しい仕事に「重さ」が加わった。重圧がかかればかかる程「やりがい」を感じた。

先週から、と或る会社の事務員として働き始めた。
この会社に興味があったワケでも、すごく働きたい!と思ったワケでも、どうしても事務の仕事がしたい!と思ったワケでも無く。「どうにも我慢できない程嫌と言うワケでもなさそうだし、この土地で仕事に”ありつけた”だけマシなのか・・・」と言う理由で働き始めて・・・。

今になって思えば。
十代、二十代、三十代を通じて、自分の希望する学校に進学し、自分の希望する仕事に就いて、やりたいように仕事をして、プライベートもやりたい事をして来れた事は、何だかんだ言って恵まれてたって事なんだよな・・・。

その反動なのか、四十歳を過ぎてから「やりたい事」が見えなくなちゃったんだよね・・・。特に今年に入ってからは「やりたい事」が何なのかを考える事さえしなくなってしまった自分。

何て言うか。
四十過ぎた自分の人生が、こんなにも不透明なものだとは思ってなかったわな・・・。空を見上げても、風の音を聞いても、ひんやりとした空気を思い切り吸い込んでも、もう、ナニモオモワナクナッチャッタヨ・・・。

何故か悲しくなる向日葵の風景

辺り一面ずっと遠くまで咲く向日葵。
そして、一台の廃車がその風景の中にひっそりと佇んでいる。

何でだろ・・・もう、ずっと、ずっと、涙が止まらない。

今更ですが「星守る犬」読みました。

星守る犬

星守る犬

もう、表紙の絵を見ただけで切なくなってしまった自分・・・。
自分は辺り一面に咲く向日葵の風景を見ると、どう言うワケか悲しい気持ちになってしまう。昔観た映画「ひまわり」のせいなのかな・・・。

犬の「ぼく」ハッピーは「おとうさん」たち家族と本当にごくごく普通の生活を送っていたんだけれども、おとうさんのリストラ、離婚によって普通の生活は終わりを告げ、「ぼく」と「おとうさん」は南に向けて「たび」に出る。

「たび」の終焉の地で、「おとうさん」は「ぼく」に「ありがとう」と言う言葉を残して静かに息を引き取る。おとうさんの「死」と言う概念が解らないまま「ぼく」の時間は流れて行き、やがて”つかれきっちゃった”「ぼく」も静かに「おとうさん」のところへ旅発つ。

何て言ったらいいんだろう・・・。
人生最期の時に、自分の大切な人に言う「ありがとう」は、何ものにも変えがたい言葉だな、って。そう思ったからなのか、自分は「おとうさん」の死には悲壮感ではなく、むしろ何故か幸福感に近いものを感じてしまったワケです。

ところで。
星守る犬」を読んで、ちょっと考えてしまった。
作者もあとがきで書いていたけれども、ごくごく普通の人間が、人生の歯車がほんのちょっとだけズレてしまっただけでも、普通の生活を失ってしまう事が十分に有り得る世の中になってしまっていたなんて・・・。

こんな事言ってはダメなんだろうけど。
凶悪犯が刑務所で衣食住に困らなくて、普通の人が本人の努力云々ではどうにも出来ない何らかの理由で最低限の生活さえ困難になり、最悪の場合生命の危険に晒されるとか。一体いつからこんなおかしな世の中になってしまったんだろう・・・。

ちょっとだけズレてしまった歯車を、修理するために少し立ち止まる事さえ出来ない世の中だとしたら、つまらないな、そんな世の中。世の中にはもっともっと多様な生き方があっていいと思うんだけどね・・・。

日本で一番レスキューが似合う俳優は

MALENA2010-10-01

東京に住んでいた頃、どうしてもイルカと戯れたくて伊東に行った事がある。

3月初旬の伊東の海水は14℃だった。
海から上がった後、引き寄せられるようにフラフラと近くの銭湯に入ってしまったくらい、早春の伊豆の海が冷たかった事をぼんやりと思い出しながら、私は映画館で上映迄の一寸の時間を過ごしていた。

本当に久しぶりに映画館に行った。
久しぶりに観た映画は「THE LAST MESSAGE 海猿
ヘンテコな眼鏡かけて、3Dで観て来ましたよ。
自分は掃海艇の見学に行っちゃうような人なんで(笑)このテの映画は好きだったりするワケです。勿論、一作目、ドラマ、二作目、全部観てますよ。三作目も含めて、全シリーズ大好きです。

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伊藤英明って自分的には全っ然タイプではないんだけれども(笑)海猿で仙崎大輔やってる時の伊藤英明は猛烈にカッコイイんですよ、コレが。今では「日本で一番レスキューが似合う俳優」だと思う、伊藤英明。海難事故には遭いたくはないけれども、仙崎大輔の伊藤英明なら救助してもらいたい!とでも言うか。

そのせいか、レスキュー役以外の伊藤英明はステキだと思って見た事無いんですよねぇ・・・。

父島に行った時、大きく揺れ続ける船上で、時化の冬の太平洋を目の当たりにして、大きく果てしなく盛り上がり続ける海面に思わず全身が震えた。海って実は怖かったのか・・・って。

そんな時として怖ろしい顔を持つ海を仕事の場としている人達は、きっと強靭な精神の持ち主なんだろうな、と思う。ニュースのインタビューなんかで「今年はサンマ不漁だべや」とか話してる漁師のおじさんも、肝が据わってる感じするし、大間でマグロ釣ってるお爺さんなんかも、凄く精悍な顔してるもんなぁ。
「海の男」恐るべし!

嬉しいけど、でも、悲しい事。

MALENA2010-09-30

フと気付けば、茹だるような暑さが続いた夏が去って。
そして。
フと空を見上げれば、空は秋の空をしていた。

もう、秋かぁ・・・。

毎年この時期になると友人Sから届いていた個展の案内ハガキ。
私が東京に住んでいた頃も、Sは毎年欠かさずハガキを送ってくれたっけ。

先週末、帰宅すると一通のハガキが届いていた。
見覚えのある作品を目にした瞬間、どっと涙が溢れる。
そのハガキは、Sの「遺作展」の案内ハガキだった。

「遺作展」か・・・。

宛名の文字が、Sの”ちょっぴり走り書き風の右上がりの字”じゃない事に、改めて現実を突きつけられたようで、どうしても、やっぱり悲しかった。

遺作展では、病室で描いていた作品も展示されるらしい。
嗚呼・・・あの時ペンで描いていた絵か。思えば、もう既にあの時Sの手は余り力が入らないような感じだったな・・・。

Sの作品に逢える事は嬉しいけれども、でも、やっぱり悲しくなってしまうんだな・・・。

夏の始まりの頃も、茹だるように暑い真夏の頃も、そして、空が遠くに見える秋になっても、私は自分が何処に立っているのか、ずっと分からないでいる。
何と言うか、現実の中で果てしなく、ずっと、遭難し続けているような感じ。

いや、思えば。
自分は、もう、ずっと前から現実の中で遭難しているような気がする・・・。

札幌に戻って来る前迄は、何が起ころうとも「あ、でも、自分、生きてるさ!」って思って、身体中の血液が轟々と音を立てて巡っていたり、魂のマグマが発作的に大爆発するようなタイプだったんだけど、今の自分はもう「ぶっ壊れたポンコツ」って感じだわ・・・。

魂のマグマが出尽くして、死火山になっちゃったのかもね・・・。

おそらく、思うように動かす事の出来なくなってしまったであろう手で、それでも最期迄作品を描き続けた友人Sを思うと、自分は何やってるんだろ・・・って思わず泣けて来た。

それは、ちょっとコワイような「月」つながり

ここ二ヶ月程の間、全くと言って良い程音楽を聴かなかったんだけれども、一昨日の夜、フと無性に柴咲コウ(RUI)の「月のしずく」が聴きたくなる。

月のしずく

月のしずく

この数年来、友人Sと飲みに行ったりご飯を食べに行ったりした先では、何故か必ずこの歌を耳にしていた。「何か、不思議なの〜」なんて思いながら、フと気付けばCD買ってたんだよな。

思えば、この歌は「黄泉がえり」と言う映画の挿入歌だったんだよね。黄泉・・・あの世か・・・。そう思いながら改めて聴くと”そこはかとなく”哀しさが伝わって来るような歌だよな・・・と思うと同時に、偶然とは言えSに会う度にこの歌が流れていた事が何だか怖いような・・・。

昨日の明け方頃。
寝る前に「月のしずく」を聴いたせいなのか友人Sの夢を見た。夢は何故かモノクロで、色のないSが私の前に言葉も無く立っていたんだけれども、私は陽だまりの中で柔らかい何かに抱かれているような、とても穏やかで温かな気持ちだった。そんな何とも不思議な気持ちで目覚めた朝だった。

でも、何だろう・・・このモヤっとしたような感覚は・・・。
そうだった・・・。昨日はSの四十九日だったのだ。四十九日は、これ迄この世とあの世の間を行ったり来たりしていた故人の魂が、いよいよあの世に旅立つ日だったよな・・・。Sの夢を見たのはそう言う事だったんだろうな、きっと。悲しいかな、Sの四十九日を失念していた(ごめんなさい!)私を見かねてSは「ハズ・・・おいおい・・・」って思わず夢に出て来てくれたに違いない・・・(汗)

友人Sと会うと偶然とは言え必ず耳にした「月のしずく
偶然と言えば、Sが毎年北欧で製作していた作品のテーマは毎年「月」だった。
そして、私の名前には「月」と言う字が入ってる。単なる偶然とは言え、何?この「月つながり」は・・・(笑)

フと、旅先で夜空を見上げると、そこには自分が何時も見ているのと同じ月が浮かんでいて、ちょっとした感動を憶えた事を思い出した。

送られる事の無かった手紙

私の手許に送られる事の無かった一通の手紙がある。
送る事が出来なくなってしまったその手紙は、友人Sが旅立つほんの数日前にS宛に書いたものだった。手紙を投函する前にSが旅立ってしまったのだ。

この一月余り、私はその手紙が入れられた封筒を敢えて手にしなかった。きっと、封筒に記されたSの名前を見るのが辛かったんだと思う。弱ってるよな・・・自分。

夕刻。PC周りを片付けていたら、敢えて目に付く事のないようにしていた筈のS宛の手紙を見付けてしまう・・・。嗚呼、ど、どうしよう・・・。

漢字で書くとちょっぴり画数が多いSの名前。そのせいかどうか分からないけれども、Sは自分のフルネームをカタカナで書く事が多かったっけ。友人Mとよく「スガシカオ、みたいなの狙ってたりとか?なのか?」って言ったっけ。

そんな事を思い出しながら、夕暮れの部屋で思い切って封を切ってみた。この手紙を書いた時の自分の心境なんかが、ぼんやりとだけれども甦って来た。

この手紙を書いた時、私はSの病状が何らかの治療法で良い方向に向かっているよう願っていた。Sは強い人だからきっと札幌に戻って来るって。だから、書いていて涙は無かった。あったのは、ただひたすら希望だけだった。

封筒からは三枚の写真が出て来た。
嗚呼、そうだった・・・。Sに元気になって欲しくて、旅先で撮った夜明けの写真同封したんだった。「明日の夜が明ける時、君が今日よりも元気になりますように!と願って」と言うメッセージと共に。

そして、手紙を書いた数日後。
私の願いは叶わず、友人Sが永遠に夜明けを迎える事の無い日がやって来てしまった。その日、私はS宛の手紙を目に触れぬ場所にそっとしまった、怒涛の如く溢れる涙と共に。

生きている限り日々夜明けはやって来る。それがどんな夜であったとしても、朝は必ずやって来る、そう、生きている限り。その夜が、どんなに辛く悲しいものだとしても、それらを”ひっくるめて”朝はやって来るのだ。それが、生きて行くって事なんだね、きっと。

切ない味の坦坦麺

それは私がまだ東京に住んでいた頃の事だった。
昼時の五反田。「時間も無いし、取り敢えずココでいいや」と入った坦坦麺の店でその歌は流れていた。

猛烈に歌謡曲調の旋律。どことなく悲しげな内容の歌詞。それは、どうにも70年代の歌謡曲。坦坦麺の店で何故この歌・・・!?と思いながらも聴いていたその歌のサビの部分を耳にした瞬間、思わず箸を持つ手が止まる。

♪涙で綴りかけたお別れの手紙♪
何だか・・・私的に・・・コレ、や、やばい・・・。

2番のサビ部分の歌詞はこうだった。
♪涙で綴り終えたお別れの手紙。涙で綴り終えたお別れの手紙♪

辛い筈の坦坦麺の味は、この瞬間切ない味に変わってしまった。
終止涙しながら綴る手紙。涙しながら手紙を綴った気持ち。彼女は何か一つの事を終らせるケジメ的な意味で手紙を綴ったのだろうか。彼女は手紙に何を綴ったのだろう。手紙を綴り終えた瞬間、彼女は何を思ったのだろう。嗚呼、ダメだ!妄想モードが止まらない!!!

私の妄想モードが暴走した歌は、由紀さおりの「手紙」と言う歌。
相手に何かを伝えるツールとして、携帯やPCでのメールがごくごく当たり前となった昨今、紙に一字一字文字を綴る手紙と言うツールは、一寸だけ時代遅れに感じなくも無いが、別れをメールで言えてしまう今の時代が一寸だけ寂しいような気がしないでも無く。

五反田の坦坦麺の店を出た時、フと自分も涙しながら手紙を書いた事を思い出した。その手紙を書き終えた瞬間、自分は何を思ったのかその時は思い出す事が出来なかった。おそらく手紙を書いた相手が、自分にとってはその時もう過去の人になっていたんだと思う、良い思い出として。

いかにも昭和の歌番組。70年代が炸裂してます。