美しく繊細な旋律と薄汚い芸当

不本意な態度や言動をとってしまった時ほど、心底ゲンナリしてしまうものはない。

先輩社員の仕事を手伝っていると、不意にシャチョーに話しかけられる。反射的に顔を上げ心にも無い言葉を発してしまっている自分。目は決して笑ってはいない”笑顔”で。瞬時にこのような「芸当」が出来る自分が心底「薄汚い」とさえ思える。一社会人としては当然の振る舞いと言えるのかも知れない。でも、「私」として情けない。

折角、毒抜きしたっつーのに。
仕方ない、毒が湧いて来ないようにしよう。

と言うワケで、会社帰りにHMVに立ち寄りCDを買う事に。今日欲しかったのは、バッハの平均律。こんな日は、繊細で美しいピアノの音色にどっぷりと浸かりたいと願う。

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻

むぅぅ。何て美しくて繊細な旋律なんだろうと思わずにはいられない。一つ一つの音が幾重にも重なって生み出される美しい音色と旋律。母は「バッハはどこか堅苦しくてあまり好きじゃない」と言うけれども、私は好きだ。子供の頃、毎週日曜の朝にラジオから流れて来る曲で、「これ、好き!」と思った曲も、音楽の時間に、音楽室で聴いた曲で「これ、好き!」と思った曲も、エレクトーン教室で習った曲で、「これ、好き!」と思った曲もバッハが多かった。

薄汚ささえ孕んだ「芸当」の後に、純真な心で聴く美しい旋律。

その芸当が余りにも薄汚いからこそ、旋律の美しさは際立ち、その旋律が美しいからこそ、己の薄汚さが際立つ。

出来る事なら、美しさ”だけ”が際立って欲しい、と願わずにはいられない。