今も昔も人々の心の底に在るもの

MALENA2007-08-30

飛騨高山の古い町並みを彷彿させる「おはらい町」は、伊勢神宮の内宮の鳥居前町として発達して来たんだそうだ。江戸時代のようなその町並みには土産物屋や飲食店が立ち並び、お伊勢参りを終えた人たちが溢れている。

「おはらい町」の丁度真ん中くらいに赤福本店があり、道を挟んだ向かい側に「おかげ横丁」と言う”江戸後期から明治初期の風情をテーマにした”一角がある。

おかげ横丁」の名前の由来は、赤福が創業の地で約300年無事に商いを続けてこれた事に対する感謝の思いと、江戸末期から明治初期に庶民の間で流行した「おかげ参り」の故事にちなんで名づけられたんだそうだ。

この昔の風情漂う「おかげ横丁」は、平成5年に伊勢の代表的な建築物を移築、再現して誕生した町なんだそうだ。ちょっとしたテーマパークみたいなものか?

軒に並ぶ招き猫たち。

真夏の陽射しが和らげられ涼しい「おかげ横丁」の小路。

おかげ横丁」でコリコリと胡瓜の漬物を食べながら思う。
江戸時代に生きた人たちも、平成の世に生きる人たちも、こうしてお伊勢参りをして、赤福で「盆」を食べたりする。(この日はとても暑かったので、赤福では”かき氷”を食べている人が多かったが)時代は移えど人々はそれぞれの思いと共に伊勢神宮を訪れる。そして、それらの思いは今も昔もここを訪れる事が出来た(こうして生きている、生かされている、と言う事とも言える)事に対する感謝の気持ちと、この先も安寧な日々を送りたいと願う気持ちに違いない。

裏を返せば、何時の時代も人はそれぞれに不安や悩みを抱え、時としてそれら不安や悩みが「生きて、生かされている事」さえもゴクリと飲み込んでしまいそうになるから故に心が清々しくなれる場所に足を運ぶに違いない。

胡瓜の漬物を食べながら、真夏の太陽を暑いと感じ、生温い風が心地良いと感じ、何よりこうして旅をしている自分は、まだまだ”やさぐれ”ちゃいないな、とフと思った。