物売る人々。物乞う人々。

MALENA2004-05-21

ソウルのロッテデパートの地下食品売り場で、次から次へとキムチの試食を勧めるアジュモニ(おばさん)も、二木の菓子(と、記憶している)で最初は3
袋だったお菓子を1袋、2袋と積み上げて行き最終的には6袋程になった山を
「ハイッ!千円!」と叫ぶおじさんも商売熱心な人達と言えるだろう。

そして、タージマハールやシティパレス等々で遭遇したインドの物売る人々は
それらとは少々「異なる情熱」と「パワー」を持った商売熱心な人達だったが
この日訪れたアンベール城の物売る人々は、その「商売熱心濃度」がケタはずれに「濃ゆい」人達だった。

「ハロー!ワタシ、ジョニーサンネ、アナタ、トモダッチネ!アナタ、コノ
ゾウサンカウネ!」
まるで「オレオレ詐欺」の亜種か何かかと、錯覚を起こしかねない怪しげ且つ
早口の日本語で、ジョニーサンは私の斜め向かいで象のタクシーを待つ日本人
女性の目の前に、ポリ袋一杯に入れられたゾウサンを差し出した。

「おそらく曖昧な態度をとるんだろうな」
私の予想は「見事に」的中した。彼女はニヤニヤと心許ない笑みを浮かべ
「後で、後で」と言うのが精一杯だったようだ。
「後で」の後に続く言葉は一体何なのだろう?「買う」なのか「少し見せて
欲しい」なのか。ジョニーサンはゾウサンを「売る事」が仕事なのだ。
何故、欲しければ「買う」必要なければ「要らない」と言えないのだろう?
それに、どう考えてもジョニーサンはトモダッチでは無い筈なのだから、気を
遣う必要なんて「これっぽっちも」無い筈だ。

そんな曖昧な態度を示す輩(100%日本人だと思う)のために、ジョニーサン
を含む物売る人々は、アンベール城の入り口に続く石畳の勾配のキツイ坂を
象のタクシーと並んで何往復もしているに違いないのだ。

仄かに冷たく鈍い光を放つ様が、この上なく美しかった「鏡の間」と同じくら
いに、物売る人々の印象が強く残ってしまったアンベール城だった(笑)

アンベール城から私達を乗せて来たジープを降りると、物乞う子供達が駆け
寄って来た。
「怒り口調」で言うハローと、合掌のポーズと、食べ物を口に持って行くよう
な仕草は、何故かどこで遭遇する物乞う人々も同じだった。

ソウルの南大門市場でラジカセから大音響の音楽(私が耳にしたのはポンチャックだったが)を流し、台車で移動しながら施しを受ける傷痍軍人を見掛けた事がある。
日本ではまず見る事のない光景だった故に、少しばかりショックを受けた事を
憶えている。

少々不謹慎な言い方かも知れないが・・・
何故か、インドの物乞う人々は心ならずも「取り敢えずは」元気そうに見える
のだった。越境の際に外国人観光客を乗せたバスが停まると、ダッシュで駆け
寄り、バスの車体をもの凄い力でドンドンと叩き、施しが見込めないと分かる
と次のバスへとダッシュする物乞う人々。
ダッシュが出来るくらいならば、瀕死の状態ではないのだろうから施しの必
要は無いだろう」
そう受け止めた私は、その日の朝、移動のバスの中でおやつにでもしようと思いホテルの朝食から持ち帰ったデニッシュとマフィンの入ったビニール袋から
そっと手を離した。

結局、ジープに駆け寄って来た物乞う子供達に見送られる形で、バスはアンベール城を後にし、デリーへと向けて出発した。
最後まで、怒り口調でハローと叫び続けた子供達は、口調と同様に少々怒った
ような表情をしていたが、その怒ったような表情がジャイプールの乾いた青い
空の下で、逞しくさえ見えてならなかった。