彼の瞳に再び光が宿るその時に願うこと。

一連の報道を目にする度に、私は思わずにはいられない。橋田信介氏の妻幸子氏は何て強い人なのだろうと。

テレビ画面を通してのみでしか、私はその姿を窺い知る事は出来ないが、その姿を目にする度に涙が溢れ出てしまうのだ。何故だろう?こんなにも涙するその理由は?もしも、ある日突然最愛の人が何者かに命を奪われ、その存在を亡き者とされてしまったならばどうするだろう?おそらく私は、その現実の重さに自分自身の全てを「木っ端微塵」に破壊され、その果てにただただ涙を流し続ける事のみしか出来ないだろうと思う。それは、私の中に存在する「決定的」とも言える「弱さ」に因るものに違いない。私は、強く在りたいと思う気持ちと同じだけの弱さや脆さを抱えているのだろう。幸子氏の強さに涙すると同時に、それによって「見えてしまう」どうしようもなく弱くて脆い自分に対して、或る意味涙してしまうのだろうか・・・おそらく私は、色々な意味でまだまだ人間として「甘い」と言えるのだろう・・・

そう考えると私は、つくづくジャーナリストには「なれない」タイプの人間と言えるだろう。今なお戦渦が続くイラクで取材を続けるジャーナリスト達。彼等は何故自らの命を危険に曝してまで取材し続けるのだろう?「使命感」と言う一言で括ってしまう事は決して出来ない「何か」があるように思えてならない。頭上を砲弾が飛び交い、常に死と言うものを意識のどこかに持ち合わせ、哀しみと憎しみで溢れかえっているであろう空気で満たされた大地に自らの足で立ち続ける。私には到底出来ない。そこに一歩足を踏み入れた瞬間、私なら全ての思考回路を一気に失い、何一つ考える事すら出来ないだろう。そう考えると、改めてジャーナリストの方々には心から感謝の意を表したいと思う。

砲弾の破片によって左目に重傷を負ったモハマド君の視力は十分回復の見込みがあるそうだ。来週にも手術が行われるらしい。モハマド君のように本当に何の罪も無いであろう人間に、何にも代えがたい哀しみを齎す、それが「戦争」と言う現実。自分を含めて、こんな事今すぐ止めるべきだと誰もが解っている筈なのに。

モハマド君の瞳が再び光を感じる事が出来るようになったその時、イラクの状況はどうなっているのだろう?せめて願いたい。彼の左目が傷を負った時のような「痛み」だけは、もう二度と、どんな事があっても感じるような状況であってはならないと。