38度線〜38th parallel〜

MALENA2004-06-14

シルミドを観終えて思い出した言葉があった。
「38度線」
三年前の夏、板門店に行った事を唐突に思い出す。

板門店の個人訪問は出来ない。板門店ツアーを主催する旅行社のツアーに参加しなければ訪れる事は出来ないのだ。旅券番号やら何やら、申し込みも面倒だったような記憶がある。「今日午後から板門店行こうかな〜」と言って行ける所ではないのだ。しかも、服装制限が結構厳しい。私が訪れたのは真夏だったにもかかわらず、半袖TシャツはNGだった。ソウルから板門店迄はバスで一時間半位だった。途中旅券のチェックがあり、数回検問所を通る。到着後直ぐに韓国軍兵士に韓国語でスライドを見ながら板門店の説明を受け(殆ど聞き取れず・・・)誓約書にサインをし、米軍のバスに乗り換えて、38度線に建つ建物迄行ったのだった。誓約書は、見学中に万が一何か起こった(おそらく戦闘だろう)としても一切の責任は自分にある、みたいな内容だったと思う。実際問題として「何か」が勃発する可能性は極めて低いのではないか、と思われるが・・・しかし、よくよく考えてみると「38度線」は現在でも「休戦ライン」であって「停戦ライン」では無かった筈。つまり、戦争を「休んで」いる状態であって、決して終結したワケでは無いと言う解釈が妥当なのだろうと思うが・・・

北朝鮮側の建物からは、北朝鮮の兵士が双眼鏡でこちらの様子を絶えず窺っていた。南北会談の場面でよく見かける建物の中に入ると、韓国軍の兵士が微動だにせず立っていた。本当に1ミリたりとも恐い位に動く様子が無い。この建物の中に「限って」は38度線を越える事が出来る。私も一瞬だけ北朝鮮側に足を踏み入れた。何だか妙な気分がしてならなかった。

三年前の事で、記憶がかなり曖昧になっている筈なのに、強烈に印象に残っている事がある。
板門店には恐い位の「静けさ」が漂っていた。何もかもが「止まって」いるような感じと言ったらいいのだろうか?空気さえも止まってしまっているような重たい「何か」を感じずにはいられなかった。何だろう?既に東西ドイツも、南北ベトナムも存在しない現在、ここだけは38度線を境にイデオロギーの違いによって二つの国が対峙している、長い間。板門店を訪れる迄は解らなかった。しかし、訪れてみるとその空気は非常に重たい。私はソウルに戻るバスの中で、鉄条網に覆われた川岸を見ながら暫し考え込んでしまった。その「重さ」は何なのだろうと。