私の好きな映画館で観て来た映画。

MALENA2004-06-20

メイン通りから少しだけ離れた場所にあるその映画館。俗に「ミニシアター系」と呼ばれるその映画館は、私が「観たい」と思う作品をよく上映している映画館でもある。今日、私は早起きをしてその映画館に足を運ぶ。「アフガン零年」を観る為に。

アフガン零年
この作品は、タリバン政権崩壊後のアフガニスタンで初めて製作された映画だそうだ。タリバン政権下のカブール。家計を支える為に少年の姿に扮し働く事を余儀なくされる少女。しかし、運命は少女が少年に成りすます事を許してはくれない。捕えられた少女の運命は、余りにも哀しく過酷だ。

少女を演じる女の子は、実際に戦争によって故郷を追われ、物乞いをしていたそうだ。まだ13才だと言うのに、彼女の瞳は例えようの無い哀しみで溢れている。その瞳の哀しさ故にドキュメンタリーを観ているような気さえする。少年の姿になる事をどんなに拒んでも、そうしなければ「生きて」さえ行けない現実。切り落とされた髪の毛を、まるで生命の宿っている植物を植えるように鉢に植えるシーン。少女の「思い」が鉢の中に凝縮されていそうで心が痛まずにはいられない。少年では無い事が発覚し、囚われた少女が鉄格子越しに流す涙に更に心が痛む。ラストは、タリバンによる裁判で「大目に見て」もらった少女に残された道は、初老のタリバンの妻になる事だけ。12才の少女が、草臥れた初老男性の妻になる事でしか生きられないなんて・・・余りの理不尽さにやるせない気持ちに苛まれるところで物語は終わる。

タリバン政権と言うのは、近年稀に見る悪政だと言えるだろう。
女性の就学、就労の禁止。娯楽の禁止。凧揚げの禁止。女性のブルカ着用義務。男性は髭を生やさなければならない等々・・・しかし、皮肉にも私自身がこう言った状況を知り得るに至ったのは「9・11」が起こった事により「アルカイダ」の存在を知り、それによってタリバン政権やアフガニスタンの現状を知ったと言えるだろう。その当時は、友人との宴に於いてもこれらが話題の中心だった。何故「9・11」は起こったのか?パレスチナ問題と米国。タリバン批判と米国に対するある種の不信感。に、しても・・・宴の席がこのような「堅苦しい」話題で盛り上がっていた私達って一体・・・

ここ迄書いて、ふと我に返る。
私はアフガニスタンの事を「過去形」で書いてしまっている。確かにタリバン政権も崩壊し、カルザイ大統領による新政権も既に発足している。が、しかしアフガニスタンはまだ復興の途中なのでは無かったのだろうか?特にこの一年は、イラク戦争の報道が圧倒的に多いのが実情で、アフガニスタン情勢は余り報道されなくなっているように思われる。アフガニスタンは23年もの間戦争が続いていたそうだ。戦争は「過去形」であって欲しい。現在、未来に於いても決して起こって欲しくはない。しかし、現在でも戦争によって受けた「傷」に苦しんでいる人は大勢いるに違いない。その人々の「傷」や「苦しみ」迄も一括りに「過去形」としてしまう事は、出来ないような気がしてならない。

アフガン零年」が上映される前に予告編でやっていたイラン・フランス映画「午後の五時」とイラン映画「ハナのアフガンノート」この2本も観たい作品だ。他にも、浅野忠信の「地球で最後のふたり」とソフィア・コッポラ監督作品の「ロスト・イン・トランスレーション」も観たいけどね(笑)