それは、偶然の出会いだった。

MALENA2004-06-22

私と言う人間は「どうにも」時計が好きであるらしい。
何本所有しているかなんて、私自身数えた事がないから分からない。購入以来、数回しか使用していないものもあれば、頻繁に使用しているものもあるし、旅限定で使用しているものもある。そんな私の許に、今日からまた一つ「新入り」時計が加わる事となった。

会社帰りにふらりと立ち寄ったアンティークショップ。椅子やテーブルと言った家具にグラスや花瓶。見ているだけで安らかな気持ちになるのは何故だろう?そんな中、私の目は一つのショーケースに「釘付け」になってしまったのだった。そう、アンティークウォッチが並べられたショーケースに。

そこにはロレックスやハミルトンなんかも並べられていたのだが、私はフェイスが楕円形のOMEGA(オメガ)の華奢な時計が気になって仕方なかった。スタッフを呼んで見せてもらう事に。何でもこのOMEGAの時計、とある時計屋さんの在庫の中から偶然出て来たものらしい。故に完璧な未使用品。確かにクロコのベルトもツヤは落ちてはいるもののコンディションはいい。フェイスの傷も皆無。60年代後半から70年代前半のものらしい。手に取るうちに、この時計に穏やかな愛情が湧いて来る。そうなると、思わずにはいられない。おそらく私はこの時計に出会う「運命」だったに違いない!と。

私の一方的とも言える「思い込み運命論」に因り、私の許にやって来たアンティークウォッチはおそらくこれで3本目だろう。旧ソ連製のBOCTOK(ボストーク)に中身がロレックス製のTUDOR(チュードル)そして今日連れて帰って来た(笑)OMEGA。新入りのOMEGAを左手首にはめながら思う。何故、私はこんなにも時計が好きなのだろう?と。おそらく「時を刻む」と言う言葉に惹かれるからなのだろうか。時計の針によって「時」は「刻まれて」行く。一秒もしくは一分ずつ静寂を伴いながら、淡々と。秒針が一周すると一分。長針が一周すると一時間。短針が一周すると半日。時計はそうして静かに時を刻み続ける。
一秒前であろうと、一年前であろうと過ぎた時間は決して戻る事は無い。また、一秒後であろうと、一年後であろうと時間を早送りする事は決して出来ない。お金を出せば時計を買う事は出来る。でも、時間はお金で買う事は出来ない。私の「時計達」が時を刻んでくれている限り、私自身の体内時計も「錆びつかないように」心掛けないといけないね。時には「オーバーホール」を施しながら(笑)