そして、今日も映画館へ。

MALENA2004-06-26

週末だと言う事は重々認識しているが、それにしても今日のシネコンは物凄い人だ。しかも「お子ちゃま」が多い。あぁ・・・そうだった。今日はハリー・ポッター「も」公開初日だった。私が観に来た映画は「勿論」違うが(笑)

ブラザーフッド━BROTHERHOOD━」
原題は確か「大極旗を翻して」だったと記憶している。
1950年6月のソウル。朝鮮戦争が勃発する。ジンテとジンソク兄弟は避難先のテグで軍に強制徴用され前線に送り込まれる。弟ジンソクを除隊させる為に、危険を顧みず戦う兄ジンテ。戦争の経過と共に、互いにすれ違う兄弟の思い。深まる心の溝。その溝を埋める事が出来た場所が、互いが北と南と言う敵対する立場で戦わなければならない38度線の激戦地と言うのは悲し過ぎる。

監督はシュリのカン・ジェギュ。主演はチャン・ドンゴンウォンビン。これだけでもかなりの「高カロリー」だと言えるだろう。オープニングのシーンが物語が悲しい結末を迎えるであろう事を予感させる。戦争が勃発したが為に、ごくごく普通の人々が家族や兄弟や恋人や友人と引き離され戦地に送られる。昨日迄の「ささやかな日常」が今日はここには無いと言う現状。当たり前と思えた事が当たり前では無くなり、尋常では無い事が当たり前に化ける。それが戦争が持つ「最大の恐さ」なのかも知れないと思う。そして、戦争に至る理由は、いつだって普通の人々にとっては理解し難く不可解なものが多いように思えてならない。劇中の台詞にもあった「同じ民族が殺し合いをしなければならない程、思想ってヤツは大事なのか」と。イデオロギーが異なる為に、殺し合わなければならない、イデオロギーを第一に掲げていない人々が、イデオロギーの違いを理由に。戦争からは何一つ「生まれない」だろう。砲弾の嵐は、目に見える形で人間の身体を木っ端微塵に破壊すると同時に、人間の持つ良心や人間性や絆と言った、目には見えないもの迄をも木っ端微塵に破壊し尽くすように思えてならない。

戦闘シーンの映像は壮絶だ。隣の席の「おばちゃん二人組」は、腕や脚や頭が吹っ飛び、血飛沫が上がるシーンでは何度も顔を覆っていた。自分も戦場に放り出されたような気分になる。或る意味「ドギツイ」映像だからこそ「痛み」を感じる。中途半端な映像からは「痛み」を感じる事は無い。人間「痛み」を感じなくなったらオシマイだ。

日本には「分断国家」と言う現実は存在していない。故に朝鮮戦争から50年以上が経過しても尚、分断国家と言う現実を背負っている韓国の人達とは「同じ魂の温度」でこの映画を観る事は難しいのかも知れないが、悲しい場面で涙したり、胸が痛くなったり、やるせなくなったりする感情に国境はない。映画に限らず、自分の(心の)中に予め国境を作るなんて私的には全く以って無意味な事。そんな国境作って構えてたら、何も「吸収」出来やしないよ(笑)

チャン・ドンゴンウォンビンの事は明日書く事にしよう(笑)