ALL OR NOTHING

MALENA2004-07-01

昨日、高校時代からの友人に会う。この友人、見てくれは「滅茶苦茶女っぽい」のだが、性格は「滅茶苦茶兄貴」なヤツなのだ。そんな友人と私との付き合いの中には、生き方に対するスタンスに於いての共通言語が存在している。
「ALL OR NOTHING」
全てか無か。0か100か。白か黒か。右か左か。

何時だってどちらかを選択する。選択しないと言う「選択肢」はおそらく存在しない。故に「じゃ、グレーな感じでいきます」や「中とって50にします」は有り得ないのだ(笑)私達にとって、生きていくと言う事は、自らの意思の下に何かを選択して行く事の連続のようなものなのかも知れない。その選択によって、身を「斬られる」事があったとしても決して「後戻り」してはいけないのだ。勿論未練タラタラ状態で「踏み止まる」事や、後悔の念に駆られて「先へ進まない」事もしない。バッサリと斬られて、傷口から夥しい量の鮮血がダラダラと流れ出ていたとしても歩いて行く。叫びたい位に痛くても、辛くても。「痛くない方」と「痛い方」あなたならどちらを選びますか?と問われたら「痛い方でお願いします」と答えるだろう。「軽い荷物」と「重い荷物」どちらを背負いますか?と問われたら「重い方にします」と答えるだろう。「痛み」を知らないと、本当の意味での「優しさ」を解る事は出来ない。「重い荷物」を背負う事によって、最初はうずくまってしまうかも知れない。でも「背負う」事さえ出来れば、必ず自分の足で立ち上がり歩いて行く事が出来る。「重さ」を知らないと、自分の足で立つ事は出来ない。

友人は言う「何かを得れば、同じだけの何かを失う。何かを失えば、同じだけの何かを得る。これは宇宙の法則なんだよ。だから、得てばかりや失ってばかりなんて無いんだよ」と。私も同じ思い。人間欲深過ぎてはダメなんだよね(笑)でも「どうせ自分なんか」とか、全て他人様のせいにする人は「何一つ」得る事は出来ないよね。何も得ないって事は、何も失わないって事。でも、これって「別の次元」に於いては法則が保たれてると言えたりするのだろうか!?

「物事の全てをALL OR NOTHINGで解決する事は出来ないんだよ」これはある友人が私に言ってくれた言葉。ALL OR NOTHINGな考えを持たない人に対してALL OR NOTHINGな回答を求める事は、とても「酷」な事であるし、相手を萎縮させてしまうだけだ、と。そう考えるとALL OR NOTHING派ってマイノリティだったりするのだろうか?深く考えた事は無いのだが・・・(笑)