たとえ、その審美眼が「妙」だとしても。

MALENA2004-07-03

夏と呼ぶには程遠い気温が続いていたこの緯度の高い街も、今日は「そこそこ」夏と呼べるような気温になった。この街にとって夏は「これから」なのにもかかわらず、7月になると同時に夏物のセールが始まっているのだ。特別購入したいものも指し当たっては思い浮かばないのだが、よく行くショップからDMが来ていた事を思い出し「つい」フラフラと出掛けてしまう始末だ(笑)

私は繁華街からは少し外れにあるそのショップに向かって歩く。心地いい位に生暖かく柔らかな風に背中を押されながら。カットソーで何か気に入ったものがあれば買おうかな、くらいの気持ちで足を運んだにもかかわらず、結果的にはバック2個、ワンピース1着にカットソー関係数点を購入する事に(笑)現在スタッフがニューヨークに仕入れに行っていて、その商品が今月末に入荷予定らしい。既に購入モード全開の自分が些か「コワイ」ような気がしないでもないが(笑)このショップの仕入先はニューヨーク。商品のセレクトが大好きな事と「ベッツィ・ジョンソン」や「クスト・バルセロナ」なんかも入荷するからこのショップが好きなんだよね(笑)

私は、その「趣味、嗜好」や「セレクト」の良し悪しは別として「どうにも」服好きな人間である事に間違いはない。小学校高学年の頃には、自分の服は自分で選んでいたし、中学生になると一人で服を買いに行っていた。幸か不幸か!?取り扱っている商品は正直全く好みでは無いが、俗に「アパレル」と呼ばれる会社に勤務していると言う事自体、私と服は「切っても切れない」深い関係で結ばれているように思えてならない(笑)

何故、私は「そこ迄」服が好きなのだろう?
服を着る事も自己表現の一つだからなのだろうか?それとも、服を選ぶ事によって自分自身の感性や感覚みたいなものを無意識のうちに「試して」いたりするのだろうか?感性や感覚が「ユルく、鈍く」なってしまわないように。そして、決してブランドや流行ばかりに捕らわれ過ぎず、例えそのセレクトが他人様から見て「ズレて」いたり「妙な感じ」だったとしても、己の感性と感覚の趣くままにこの先も「服好き」を続けて行きたいと思う。他人様が自分を「どう見ているか、どう思うか」なんて気にしていたら「自分」なんかやってらんないでしょ!(笑)

本日購入した中で、私的に「アジアンな柄」がこの上なく気に入ってしまったワンピース。褪めた色のシマロンのデニムに、ピーナッツ色のヴィヴィアン・タムの靴を合わせてみよう。「いい感じ」に妙な雰囲気が出せそうだ(笑)