私なら、何をさけぶのだろう。

MALENA2004-07-10

確か木曜日の帰り際、会社の後輩が漫画を一冊貸してくれた事を思い出す。何でもその後輩曰く、その漫画を読んで涙したそうだ。後輩が貸してくれた漫画、それは「世界の中心で、愛をさけぶ

原作は確か300万部を超える大ベストセラー。5月に公開された映画もヒットしていると聞く。巷では「セカチュウ」と呼ばれている程に、今「世界の中心で、愛をさけぶ」がブームである事は「情報」として知ってはいたので、私自身興味無くも無かったのだった。ただ「セカチュウ」は何とかならないものだろうか(笑)何かのキャラクターみたいで、脳ミソが思わず「痒く」なってしまいそうでならない(笑)

最初の頁を開いてから約30分後、私は最後の頁を閉じた。17才と言う「いろいろな意味で」最も多感な時期に、自分の目の前から好きな人の姿が消えてしまうなんて「辛い」の一言で片付けてしまう事なんて出来ないだろう。好きな人の魂の温度が、少しずつ少しずつ冷たい方へ向かっているのが解るのに、どうする事も出来ない自分との葛藤。自分なら「全て」がバラバラに壊れてしまうだろうな、きっと。17才の頃は毎日毎日が何故か「ひたすら」楽しかった記憶がある。授業中に漫画を見たり、3時間目が終わると同時に「早弁」したり、学校サボったり、物理の試験が追試だったり、夏服着るのが待ち遠しかったり、恋愛話で盛り上がったり。どうって事ない日常が、どうしようもない位に楽しかった事を記憶している。ん!?高校時代を「懐かしむ」事自体、或る意味年を重ねた「証」なのだろうか(笑)

漫画には漫画の良さがあるが、私としては活字として読んでみても「いいかな」と思う。読書する事は決して嫌いではない。綴られた文字達を静かに目で追い、時にその場面や情景を思い描きながら頁をめくる作業を繰り返す。静寂の中で頁をめくる音だけが繰り返される。が、しかし・・・私は余り読書をしない。元々読書家ではないのに追い討ちをかけるかの如く、このところの活字離れは甚だしいを通り越して「何か間違っている」ような気さえする。これには流石に自分自身も「マズイ」と思わざるを得ないだろう。私の場合、一旦読書を始めると一気に全部読んでしまいたいタイプの人間故に、一晩中読書をしていまう事もあったりする。どうにもこまめに重ねて行くタイプの読書が苦手のようで、これも活字離れに拍車をかけているのかも知れない。って単なる自己弁護&言い訳に過ぎないが(笑)

漫画版「世界の中心で、愛をさけぶ」を見て、実は涙してしまった。
そして思う。私なら世界の中心で「何を」さけぶのだろうか、と。現在(いま)の私なら一体「何と」さけぶのだろうか、と。おそらく今こうしてキーボードをたたく私にはそれが「何」かを答える事は出来ないだろう。何故って「ここ」は「私にとっての」世界の中心ではない筈だから、きっと(笑)