全ては「自己責任」である事を前提に。

MALENA2004-08-17

バスが山並みを追い越す頻度が少なくなって来たのと同時に、民家の数が増え始める。どうやらラサの郊外に入ったようだ。バスの走行距離が増すにつれ建物が増えて行く。どうやら私が想像していたよりもずっと、ラサと言う街は都会だったようだ。

先ずホテルにチェックインをする。階段で3階まで上りきった時、正直なところ「息切れ」がする!「そうか・・・ここは海抜3300mの高地なんだ」と実感する事に。特に頭痛は感じないが、この後は昼食と言う事もあり、念のためバファリンを飲んでみる。昼食の頃からちらほらと「高山病」と思える症状を訴える人が現れ始めた。頭痛に手足の痺れ、食欲不振等々。特に「該当」する症状が見当たらない私は、昼食をペロリと平らげる。何だかんだ言っても、体力あっての旅だ。私の旅はいつだってこの「食欲」に支えられていると言っても決して過言ではない(笑)

チベット初日と言う事もあり、昼食後はホテルの部屋で休養をとるように言われていたが、私的にはその時間が「どうにも」勿体無いように思えてならない。ノルブリンカに行くのは夕方。2時間も時間がある。ここでただ「じっと」しているなんて・・・。バファリン効果なのか!?特に頭痛も感じない。本来なら「ダメの部類」に入る筈の喫煙がしたくなってしまうのは何故だろう?どうなろうとも「自己責任」だ、と自分に言い聞かせ煙草に火をつける。ん??全然平気みたいだ。煙草の火を消しながら思う。よし!出掛けるぞ!と。

何がどうなろうとも全ては「自己責任」であると言う事を前提に、取り敢えずは気持ちの赴くままに、好き勝手に時間の許す限り歩いてみる事に。ホテルを一歩出ると、そこにはラサの日常があった。自分の住む街で見るよりも、くっきりとした青色の空。はっきりとした輪郭の白い雲は、この手で掴めそうに思える位近くに見える。警官(公安?)自転車に乗る人。店先でカードに夢中になっている若者。木陰でぼんやりする人。携帯で話しながら歩く茶髪の兄ちゃん。西瓜や桃や林檎を売るおじさん。スーパーにケーキ屋に四川料理の店にギャル風!?の服を売っているショップ。携帯電話を扱う店。通りには様々な人達がいて、様々な店が軒を連ねる。そんな様々な「一瞬」で溢れる街を私は歩いて行く。気持ちの赴くままに自由に。

途中見つけたスーパーで、お菓子や飲み物等々を購入。置いてある品々の多くは中国製。そうだった・・・チベット中華人民共和国チベット自治区」と呼ばれる土地だったんだ・・・。ラサの街には漢字(簡体字)が溢れ、中国語(多分北京語?)が飛び交っている。そう言えば、今歩いて来た道ではマニ車を回している人も見掛けないし、ましてや五体投地をしながら巡礼している人なんて一人も見掛けない。予想以上に車が行き交い、予想以上に空気は排気ガスの匂いがするここは本当にラサなのだろうか・・・?

その後もヒヤヒヤしながら道路を横断したりしながらも(ダッシュ必須。意外に息切れしますが、笑)散策は続いた。昼食のために訪れたジョカン付近はチベット「らしさ」みたいなものを感じたのに、ここでは感じない。中国のとある街にいるみたいに感じるちょっとした「違和感」この「ちょっとした」筈の違和感が、やがて私自身チベットが「自治区」であると言う存在(現実)を少しばかり自分なりに考えてみる「取っ掛かり」だった事に気付く事となる。短い滞在期間の中で。

夕方訪れたノルブリンカ(ダライ・ラマの夏の宮殿)の柱時計は9時で止まっている。この時以来、この時計は時を刻んでいないのだそうだ。
この9時と言う時刻は、ダライ・ラマ14世がインドに亡命する為にこの宮殿を出て行った時刻だそうだ。主が去った宮殿で、時を刻む事をしなくなった柱時計は一体何を見続けて来たのだろう。