彼等のそう遠くない未来に思う事。

MALENA2004-08-23

チベット初日、ジョカン近くのレストランで昼食を終え出て来た私に、西瓜を頬張る幼い兄弟のお兄ちゃんの方がピースサインを繰り出す。もう、凄く凄く可愛かったので(笑)私もピースサインを繰り出す。そして、彼等と同じ目線になる位置迄しゃがんで写真を一枚撮る。早速お兄ちゃんの隣に寄り添ってデジカメの小さなモニターを「見てごらん!君だよ」と指差す。お兄ちゃんは不思議そうにモニターを覗き込むものの、チベットの陽射しが強すぎたのかモニターがよく見えなかったらしく益々不思議そうな顔をして私を見る。嗚呼!こんな時直ぐにプリント出来る機械があったらなぁと思わずにはいられない!

3日目、ヤンパチェンの帰り道私達ツアー一行はマイクロバスの中で昼食をとっていた。見渡す限り高原が広がるのどかな風景。そんなのどかな風景の中を、こちらに向かって来る小さな二つのシルエット。やがてそのシルエットはまだあどけない兄と妹だと言う事を認識するのにそれ程時間はかからなかった。彼等はバスの横に立つと、精一杯の笑顔を向ける。右手を大きく差し出しながら。そう、それは紛れも無く「何かちょうだい!」の仕草。ツアーのメンバーの一人が言う「捨てるくらいなら勿体無いしあの子達にあげた方がいいよね」と。殆ど手の付けられていない昼食を彼等に手渡す。嬉しくてはしゃぐ彼等。おそらく彼等の生活に於いては口にする事さえない食べ物。そして彼等はその袋を背中やお腹に隠し、更に精一杯の笑顔で両手を差し出す。「もっとちょうだい!」と。気が付けば数人の子供達がバスに向かって同じような仕草をしていた。

ヤンパチェンで牛肉面を食べてしまった私は、流石に昼食のお弁当を完食出来そうになかった。けれども私はカステラを見ながら或る決断を下す。次の瞬間私は言っていた「例え全部食べ切れなかったとしても、私はこの子達の将来を考えると食べ物をあげる事は出来ない」と。

私のとった行為は冷酷だと言えるのかも知れない。
でも・・・私は思う。本来であれば、この子達の笑顔は「こんな事」に向けられるべきではないのではないか?と。こうして食べ物を得られる事を知った彼等の親は、もしかすると彼等を来る日も来る日も道に立たせるかも知れない、糧を得る為だけに。本来であれば学校に行って勉強したり、友達と遊んだりする時に見せる笑顔と時間は、糧を得る為の笑顔と時間に摩り替えられる。彼等の夢は先生になる事だったりスポーツ選手になる事かも知れないのに、その芽がこんな事で摘まれてしまうかも知れない。正直彼等の笑顔を見ると胸が痛まずにはいられない。しかし、私にとってはそう遠くない未来に彼等が失ってしまうかも知れない笑顔を思うと、こちらの方が遥かに胸が痛まずにはいられないのだ。そう考えると「勿体無いから」や「捨てるくらいなら」や「可哀相だから」と言う理由は、食べ物に不自由する事のない国に暮らす人間の単なる「エゴの塊」とは言えやしないだろうか?果たして私は考え過ぎで、この考え「そのもの」がもしかすると「エゴの塊」だったりするのだろうか・・・。

後で耳にした話だが、親によって物乞いをさせる為に道端に立たされ学校に「行けない」子供が少なくないと聞く。私はインドのガイドさんが言っていた言葉を思い出す「彼等の為にも施しはしないで下さい。彼等は本来であれば働く事が出来るのです。施しを受ける事によって彼等はまともに働く事をしなくなります。だから、彼等の為にも施さなくてもいいのです」

私は昼食を終えるとバスを降りて彼等に話し掛ける。彼等が歩いて来た方を指差し「お家は遠いの?おかあさんが心配するからもうお家に帰りなさい。あと・・・ごめんね、私は君達には何もあげられない」日本語だった事もあり(笑)彼等は終止キョトンとしていたが、やがてもう「何ももらえない」事を悟ると歩いて来たのどかな高原を戻りはじめた。屈託のない笑顔で手を振りながら。そんな彼等の笑顔を見ながら思う。この高原で彼等の両親や祖父母がその祖先から受け継いで来たここでの生活に、彼等が誇りを持って生きて行って欲しいと。そして、彼等の「そう遠くない」未来が彼等本来の笑顔で輝いていて欲しいと。