鳥達によって、その魂は天に運ばれる。

MALENA2004-08-27

幼少の頃、私をとても「不思議な気持ち」にさせたテレビ番組のシーンがある。ナレーターは確かこう言っていた「世界で初めてカメラがとらえた”鳥葬”をお送りします」と。子供心に思う「”ちょうそう”って何!?」と。やがて「コンドルは飛んで行く」の旋律と共に画面に写し出されたのはコンドルが「何か」に群がるシーン。「何か」の部分は放送に不適切だと判断されたのだろう。画面の下三分の一は黒で覆われていた。そう、何かとは遺体。子供心に思う「鳥が死んだ人間を食べる!?こ、怖いよぅ・・・」と。

チベットでも鳥葬が行われていると知ったのは、それからずっと後の事だった。ツアー参加者の中にもやはり鳥葬に少なからず興味を示す人がいて、チベット人のガイドさんにあれこれ質問していた内容に私も少し耳を傾けてみた。

一般的にチベットでは人が亡くなると3日間は遺体を自宅に安置して、その間はお坊さんがやって来てお経をあげるのだそうだ。その後遺体は「葬儀屋さん」の手で鳥達が「食べやすい」状態にし(詳しくはちょっと書けないかも・・・)鳥葬場に運ばれ鳥葬されるのだそうだ。ラサには3ヶ所鳥葬場があるとの事。チベット全土で鳥葬が行われているのかと言ったらそうでもないらしく、場所によっては「水葬」だったり「風葬」(遺体を野や山に置く)の場合もあるそうだ。但し、高僧はこれらの葬儀方法に当てはまらず生き仏(即身仏ミイラ)として葬られるそうだ。そう言えば以前NHKか何かのドキュメンタリーで「チベット死者の書」と言う番組を見た時に、チベットに於ける「死」の概念みたいな事をやっていたような記憶が無きにしも非ずだが、私の脳ミソには難解過ぎたのか!?殆ど記憶に刻まれていないようで・・・(笑)

チベットでは、既に魂が宿らなくなってしまった肉体にはその存在意義がないと考えられているのだそうだ。その魂が肉体を離れてしまっても、49日後には別の肉体(人間とは限らないらしい)に魂が宿るとされている。輪廻転生と言うやつか?魂が宿らなくなった肉体を、別の「いのち」を繋げて行く為の糧として提供する。このような言い方は「決して」適切とは言えないのかも知れないが、鳥葬は極めて「エコロジカル」な方法と言えるようにも思える。また、鳥によって魂を天高く運んで行ってもらうと言う意味も込められていると言った話も聞いた事がある。子供の頃はひたすら不思議で且つ怖かった鳥葬も、こうして考えてみると「なるほど」と思わせる部分も多い。え?ならばアナタも鳥葬にしたらどうかって?う〜ん・・・丁重にご辞退させていただくと言う事で・・・(笑)

死後、その魂を鳥達によって空の遠く、天高く運んで行って葬ってもらう事を考えるチベットの人々。火葬、もしくは土葬によって魂を地の遠く、地中に葬ってもらう事を考える漢民族。全く異なる文化を持つ2つの民族の間に、果たして妥協点は必要なのだろうか。自治は「与えられる」ものなのだろうか。ポタラ宮の屋上から遠く見渡す事の出来る山々を見ながら、私は考えてしまった。

それにしても・・・帰国してから既に2週間だと言うのに私は未だ旅の事を書いている(笑)あと数回は書かなければならない予感が・・・(笑)