その夜が、朝を迎える日は果たして何時なのだろう。

MALENA2004-08-29

ポタラ宮の見学を終えバスに戻る途中、モスグリーンの制服に身を包んだ5、6人の警官(公安?)に出会う。手を振ったり、ましてやカメラなんか向けた果てには「尋問」なんかされてしまうんだろうか・・・と思いつつも、取り敢えずの笑顔で手を振ってみる。んん?あれ??彼等も微妙に笑顔だ。写真を撮ってもいいか、とジェスチャーすると意外にもOKとの事なので慌ててカメラを手にする。小さなモニターには、笑顔の彼等が映し出されていた。

ラサに到着して、街中の警官の数が多い事に気付くのにそれ程時間はかからなかった。宿泊していたホテルの入り口や、階段の上り口にも昼夜を問わず警官が待機(監視)していた。この「普通ではちょっと考えられない」警官の数が言わんとしている事。そう、ここは中華人民共和国チベット自治区。政治的に「かなり微妙な状態にある場所」だと言う事。特に中国からの分離・独立と言う点において。独立を支援する活動家に入られては「困る」からチベットへ入るのは厳しく制限されているし、街の至る所で公安が目を光らせているのだろう。とにかく、中国政府がチベット情勢に神経を尖らせている事が否応無しに伝わって来る。自治区の筈なのに、何故中国政府の必要以上とも思える介入!?疑念が渦巻く。

以前は数万人いたと言われている僧侶の数も、今では数千人に減ってしまったのだそうだ。僧侶が減ってしまった「原因」を聞いて思わず「悪い意味」で納得してしまう事となる。現在チベットに於いて僧侶になる為には2つの条件をクリアしなければならないのだそうだ。1つは中国共産党に忠誠を誓う事。もう1つはダライ・ラマ14世に反旗を翻す(否定する)事。もうそれはチベット人ではない私でも怒りの感情さえ込み上げて来そうな中国政府の政策。文化大革命の名の下に、チベットの仏像を破壊し尽くした中国共産党は、今現在も尚このような「踏み絵」を強いている。中国からの独立を掲げ、結果として亡命したダライ・ラマ14世を崇拝する事は勿論、その写真を掲げる事さえも決して許されない「自治区チベットチベットの朝が遅いもの中国政府の方針の一つなのだろう。本来であれば、チベットはインド時間(日本マイナス3時間半)と同じなのだそうだ。それが北京時間と同じ(日本マイナス1時間)とはどう考えても無理がある。夜8時半近くでもラサの空が明るいのはその為だったのだ。そんな空の下を時折公安と擦れ違いながら思う。「自治区って一体何だろう」と。

チベットを発つ日の朝、ホテル出発は午前4時半だった。少し肌寒い空気が漂うまるで真夜中のような(実際は真夜中)ラサをバスは空港に向けて出発する。殆ど人の気配のないラサをバスはどんどん離れて行き、やがて街灯が1つも見当たらない漆黒の闇の中を、バスはヘッドライトが映し出す光景を頼りに猛烈なスピードで駆け抜けて行った。辺りの景色は勿論見えないが、その代わりに窓からは星が見えた。やはり空に近いからなのだろうか?日本で見るよりもずっと星が大きい。そして輝いて見える。三日月も何だかくっきり見える。街灯は勿論、街が無い事もあるのだろう。余計な明かりが無い分、星「そのもの」を見る事が出来たのかも知れない。やがて、山々がそのシルエットをぼんやりと幾分薄くなって来た闇の中に現し始めた。夜明けが近い。漆黒の闇はやがて紺色から冷たい灰色の朝焼けへとその色を変えて行った。約1時間半の間に見た色の変遷。果たしてこの先チベットにも「色の変遷」が起こる事はあるのだろうか?私の個人的な意見としては、やはり現状チベットが置かれている立場は抑圧と言うよりはむしろ弾圧に近いと思えてならない。漆黒の闇が仄かに柔らかい光を孕んだ朝を迎える日はやって来るのだろうか?そんな思いを胸に、私はコンガル空港で夜が明けたばかりのチベットの空を見上げた。