守れなかった助言とは

MALENA2005-02-15

昨日の日記を目にした友人からメールが入る。
「守れなかった助言って何?」と。メールを目にしたのが生憎朝の通勤時だったため、その事は今日の日記に記す旨を返信する。なので、今日の日記は私が守れなかった助言について(笑)

昨年、最後の東京出張の時、浅草のホテルで全く先の見えない展望に途方に暮れていた私に香港の知人から偶然電話が入る。「元気か?」・・・勿論、元気の欠片もある筈はなく・・・(苦笑)会社の騒動を一通り話した後、彼は訊く「で、どうするんだ?」と。私は答える「そうだなぁ、転勤しようかなぁ・・・今の仕事でもう少し頑張ってみようかなぁ・・・」彼は言う「しようかなぁ、やないやろ?転勤”する”やろ。頑張ってみようかなぁ、やないやろ?”頑張る”やろ。」と。幾ら落ち込んでいたとは言え、こんな弱気な言い方しか出来ない自分にハッする。あ・・・今の私、私が最も嫌いな私、と。

彼は言う。自分はこうするんだ、こう生きて行くんだ、と言う明確な意志を持つ事によって、初めて自らの人生を己の手で切り開いて行く事が出来る、と。強い意志の下に、自分の人生を切り開いて生きて来た人間の言葉は重く、そして深い。

そう。自分の人生は自らの手で切り開いて行くしかない。私のまわりでその生き様がカッコイイ人間は、皆人生を切り開きながら生きている。時としてボロボロになりながら。そして血を流しながら。

東京にやって来て四ヶ月。果たして私は自分の手で人生を切り開いているだろうか?いや、その前に確固たる意志を持っているのだろうか?

環境の変化や、仕事が忙しい事を「言い訳」にして、意志を何処かに「放置」しようとしてはいないだろうか?意志のないところに開ける人生なんて無い。だから今私はダラダラと微温湯に浸かって自分の人生を思いっきり怠けているに違いないのだ。その証拠に、鏡に映る自分の顔にギョッとする。「今の私、何てユルい何て意志の無い何て怠けたヒドイ顔してるんだろう!」と。

彼からの助言を守れていない自分が情けなくて、悲しくて、悔しくて。
我ながら猛烈に落ち込んでしまった今日この頃・・・。ズンドコから這い上がるには、明日から、いや、今この瞬間から意志を持つ事!冴えない顔した私なんか、どう考えても私じゃないよ!(笑)

自分が本当にやりたい事は何なのか?もう一度自分自身を見つめ直してみよう。
そんな時は、本来ならば旅に出るのが一番なんだけれども、悲しいかな今は物理的にちょっと難しい。自分の半径1m以内の世界だけが全てなんて生き方私には有り得ない。そんなの私の歩むべき道じゃない。ぼんやりとでもそれが見えた今、私はもう一度彼の助言を守る努力をしようと思う。