言葉は伝わる、海を越えて。

気が付けば、丸一日眠っていた事になる。
人間って、安堵感を得ると眠れるんだね。自分でもコワイくらいに。

金曜の夜中(日付は既に土曜)スルーザファイアが鳴る。
ディスプレイには「通知不可能」の文字。おおよそ誰からの電話なのか、この時点で判る。電話の向こうからは関西弁が聞こえる。そう、電話は香港の知人からだった。

数週間前に私が送ったメールを、香港に戻った彼は目にして直ぐに返事をくれた。で、そのメールに対して返信した私のメールを目にして電話をくれたのだった。ただでさえ休暇明けで多忙であるだろうにもかかわらず、メールを目にしてくれた事だけでも有り難い事なのに、返事を書いてくれた事は更に有り難い事。放置する事だって出来た筈。その方が間違いなく簡単だしウザくないに決まってる。

彼は言う。頑張り屋な事は解った上で、と前置きして。

頑張ろう、頑張ろうと思う余り、肩に力が入り過ぎてないか?肩の力を抜いて、いい意味で「開き直る」事も時には必要なんじゃないか?と。

人生は、己の手で切り開いて行かなければならないけれども、切り開こうとする余り、逆に少し「切り開き過ぎて」るんじゃないか?と。

崖っ淵に立っているにもかかわらず、まだまだ余裕があると思って(勘違いして)ないか?崖から片足を踏み外す「勇気」よりも、今自分が立っているのは当に崖っ淵なんだって”現実”を認める「勇気」の方が大切な事もある、と。

先ずは、ピラミッドで言うところの土台をしっかりつくる事。しっかりと土台が出来れば、あとはその上に積み重ねて行けばいい。今の私はピラミッドどころか、細い積み木をただただ不安定に重ねているだけだ、と。それじゃ不安定なのは当然だろ、と。

職場環境が変われば、今迄と同じように仕事が出来ないのは当然。その現実に不平不満を持つ前に、先ずは謙虚さを持つ事。現状私がおかれている立場は、或る意味「新人」なんだから、と。

現実が思うようにならないからと言って、決して、自分が本来ならば求めてはいないモノや事に逃げない事。それは単に「悪い薬」に過ぎない。悪い薬が効いている時は、マトモな判断が出来ない。ズルイ人間が、善良な人間に見える。そんな薬に手を染めなくても、正しい薬の処方は必ずある。常習者や中毒患者になってはいけない。どんな事があっても、自分を大事にしろ、と。

今は、多分深い水の底に足がついている状態だろう。でも、大丈夫。底に足がついているって事は、あとは思い切りその底を蹴れば一気に浮かび上がるって事。足が底についていなければ、蹴る事は出来ない。蹴れないって事は、その方が浮かび上がって来るのに時間がかかるんだから、と。

電話しながら、思い切り泣いた。そう、多分「男泣き」ってヤツ。
ドラマを見ていて泣く事はあった。でも、何て言うのかな、このところ心の奥底から、本能の赴くままに泣いていなかったんだね、私。悲しいって思う感情が突き抜けてしまうと、もう涙すら出ないんだ、って思ってた。でも、泣けない私なら、そんなの嘘の私だわ。泣けない自分を心の何処かで無理矢理誤魔化して、無理矢理正当化しようとしていたんだわ、私。で、肩に力が入り過ぎて身動きが取れなくなって、どうにもなんなくなって挙句、「悪い薬」を「善い薬」だと思って服用して。で、結果として身体壊してさ(苦笑)

彼が、休暇明けでただでさえ忙しいのにもかかわらず、貴重な時間を割いてくれた事には本当に感謝している。そして、その男気と友情にも。最後に彼はこう言ってくれた。決して無理はするな。時にはダラ〜っとデレ〜っと蛞蝓みたいに過ごしたっていいんだよ。ほわ〜んとボケ〜っと過ごしたっていいんだよ。先ずは肩の力を抜いて、自分を大事にしろ。でなきゃ他人の事も大事に出来ないから、と。

目が覚めたと言うよりは、むしろ悪い夢から醒めたと言う感じだろうか。
不安が去り、そして訪れた安堵感。に、しても・・・丸一日って幾らなんでも寝すぎじゃないか!?(笑)まぁ、たまにはこんな事があってもいいか(笑)