イランの人々にとっての緑とその意味。

MALENA2005-05-19

数年前、報道番組か何かでそのシーンを見た時、それが何となく不思議な光景に見えたのは、おそらく私だけではないだろう。

週末ともなると、代々木公園や上野公園に集まるイランの人たち。へぇ〜。日本には意外にイランの人たちが大勢住んでいるんだ。でも、何で皆が皆公園に集まるワケ!?単に公園に集まるだけならば、何度も報道番組には取り上げられなかったに違いないだろう。当時何度も報道番組に取り上げられた最たる理由は、一部の人たちがそこで「偽造テレカ」を売っている事が報道されていたからだ。で、報道を目にした人たちはこう思うに違いない。公園に集まるイラン人→偽造テレカを売買→イラン人は怪しい!?と。

確かに一部の人たちは、公園で良からぬ行為に及んでいたのかも知れない。日本でこう言った報道がされていた事を知ったイランの人たちは、大変悲しく思い、そしてとてもショックだったんだそうだ。乾燥した大地や険しい山岳地帯が多いイランでは、木々や草花の緑は人々にとても愛されており、緑のある場所もまた人々に愛されている。なので、公園で過ごす事はイランの人たちにとってはごくごく当たり前の日常に過ぎないんだそうだ。余暇を家族や友人や彼や彼女と公園で過ごす。家から夕食を持参して公園で食べる家族連れ。公園で勉強する学生。読書する老人。遊ぶ子供。彼女の膝枕で眠る彼。ぼーっとする若者などなど。本当にたくさんの人たちが、公園で思い思いの時を過ごしている。

代々木公園や上野公園に集まるイランの人たちは、故郷を懐かしんで「緑の下」に集まっていたのだろう。それなのに文化の違いとは言え、終いには集まる事そのものが怪しいかのような報道がされてしまった事は、さぞかしショックだったに違いない。世界には楽しめる文化や習慣の違いがある反面、文化や習慣の違いが思わぬ誤解や壁を生んでしまう時もある。

緑をこよなく愛する人たちが暮らす国イラン。
国の花は薔薇。そして木はプラタナスなんだそうだ。今日もまた、イランでは人々が緑の下で思い思いの時を過ごしているに違いない。