赤土の道の両側には、カシューナッツが実る

MALENA2005-08-28

高床式の家には必ずと言っていいほどハンモックが備え付けられ、そのハンモックではおばあさんが昼寝をしている。家の周りでは子供たちが駆け回り、犬たちもニワトリたちも駆け回る。牛はのんびりと草を食み、女性が水浴びをしている。

道の両側にはヤシの木をはじめとして様々な木が並ぶ。今はカシューナッツが収穫の時期で、道端のカシューナッツの木には甘いナッツが実っているそうだ。一年に三回お米の収穫がある水田では、手作業で田植えをする様子が見てとれる。

荷台にまでびっしりと人が乗ったトラック(乗り合いタクシー)自転車を漕ぐ子供。欧米人と思しき観光客を乗せたトゥクトゥク(バイクタクシー)取り敢えず!?は乗れるだけ人の乗ったバイク。ゆっくりと歩く老人。

赤土の道で目にしたカンボジアの日常はどれもとても穏やかだったが、十年程前迄この赤土の道はポル・ポト軍と政府軍が最も激しく交戦するとても危険な地域だった、とガイドのソカーは言う。彼自身も子供の頃に戦いの場面を何度も目にした事があるそうだ。彼は言う「あの時代は本当に怖かったです。でも今は平和です。もうあの頃には戻りたくないです」と。彼はカンボジアの内戦については多くを語らなかったが、「あの頃には戻りたくない」と言う言葉が、内戦がカンボジアの人々の心をどれほど傷つけたのかは察するに余りある。

現在も、首都プノンペンはもとよりシェムリアップにおいても一般市民でも銃を携帯している人がとても多いんだそうだ。戦いの時代が長く続いたあまり、銃を身につける事がごく普通の事になってしまっているのか・・・。内戦が終結して十年以上経った今でも蔓延っている内戦の爪痕。何度もプノンペンを訪れている日本人ガイドは言う「一晩に三回は銃声を聞くね。夜は危ないからゲストハウスからは出ない」と。ソカーも言う「プノンペンには余り行きたくないです。カンボジア人でも怖いです、プノンペンは」と。

トイレ休憩の為に立ち寄った片田舎の赤土の道に立ち風景を見渡す。
私の目にはとても平和で穏やかな田舎の風景が映る。が、しかし、この辺りは未だ地雷の撤去が完全に終了していないんだそうだ。人の命を奪う目的で、人の手によって地面に埋められた地雷。穏やかな風景と背中合わせで潜んでいる内戦の爪痕。

この赤土の道が、血の赤で染まった事もあったのかと思うと何とも言えない気持ちになった。