私の思考回路は、またしても「考え事の海」を漂いそうだ

数日前、「無」について書いた日の日記について友人からメールを貰う。
実はこの日の日記、私は「無の概念みたいなもの」について漠然とでもいいから書きたかったのだが、文章力の無さと、そして何よりも如何せん人間としてまだまだ未熟者故に、漠然が更なる漠然を生み、挙句の果てには自分自身何について書いているのかさえも判らなくなる始末だ・・・(苦笑)

むぅぅ・・・もうこれ以上は書けないわ・・・無理・・・。

おそらく友人は、そんな状況を文章から察してくれたのだろう。友人は、無の概念についてのヒントを教えてくれた。

友人は学生時代に、寮長先生からよくこう聞かされていたんだそうだ。

空イコール無!
無即ち宇宙の真理!!
それ以外は何者も存在しないし
それが宇宙の真理で有り、宇宙の全て

ピンと来た人もいるだろう。(因みに私はコレだけでは全く判りませんが・・・)そう、これは当に「禅」の世界を表す言葉。(で合ってますか?)

フと見上げる空が何処まで続いているのかと思ったり、宇宙の果ては何処にあって、それはどんな姿をしているのだろう?と思ったり。

空の終わりがきっと宇宙の始まりで、ならば宇宙の終わりからは何が始まっているのだろう。

始まりと終わり。終わりと始まり。

無と有。有と無。

生と死。死と生。

光と影。影と光。

どちらか一方の存在が無ければ、もう一方の存在は決して成り立たない。
もしかすると、この世の全てのありとあらゆるモノの行き着く先は「無」なのだろうか。全てのモノは無と言う”存在”に包まれているのだろうか。

むぅ・・・どうやら、私の思考回路はまたしても「考え事の海」に放り出されてしまったようだ・・・。

友人によると、無の概念については「禅宗」について調べてみると何かヒントが得られるかも知れないとの事だった。

先ずは、煩悩まみれの頭ではありますが、座禅を組んで「考え事の海」を漂ってみようか。何かが閃くかも知れない。万に一つの確立で・・・。