「考え事の海」を遭難!?

「無」についてのヒントを教えてくれた友人が、一昨日の日記を見て早速新たなヒントを教えてくれた。

禅宗には2つの宗派がある。(他にもありましたか?)
臨済宗曹洞宗臨済宗坐禅は問いの答えを見つけるために座り、曹洞宗は何も考えないで只座るのだそうだ。曹洞宗坐禅は「静かに息を整え何も考えずに座るのが無」なんだそうだ。問いの答えを見つけるために座る坐禅。何も考えず無になるために座る坐禅。むぅぅ・・・と言う事は「答えを見つけるために無になる」坐禅は無茶がある、と言う事か・・・。

「考え事の海」を遭難しそうな、予感・・・と思ったりしてはみたものの、フと思い立ち電気を消してベットの上で坐禅(もどき)を組んでみる。何も考えず、目を瞑りゆっくりと深呼吸してみる。・・・ん?んん??何だか妙〜に脳ミソが心地いい。もしかすると、この心地よさの「極み」みたいなモノが「無」だったりするのだろうか?

嗚呼・・・こうやって、いつだって、やっぱり私は考えてしまうんだな・・・(苦笑)