今年最初の日に考えた事

恭喜發財
中国語圏の「謹賀新年」にあたる言葉なんだそうだ。因みに、お隣韓国では「新年、福をたくさん貰って下さい(セヘ ボク マニ パドゥセヨ)」と言うんだそうで。

と言うワケで。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!皆さんにとって今年が良い年でありますように!!!

と書いたところで。
今年最初の日記が、まさかこんな事を書く事になるとは・・・ね・・・。お正月、それも元旦の真昼間から・・・(苦笑)

昨夜の事。
連絡が取れなかった友人と連絡が取れる。

電話は繋がったものの、留守電だったのでメールを送ってみる。直ぐに返事が来る。実家のある街に向かう電車の中なので、電話に出られないらしい。無事帰国した事が判りホッとする。メールの遣り取りの中では、ぎくしゃくした空気は感じられなかった。会って顔を見て話をしたワケではないので何とも言えないけれども、これ迄通り私たちは友人である事に何ら変わりはないと感じ再度ホッとしたものの、これから先はどうなるのかは解らないと思うと、再度落ち込む事となった大晦日の夜。

穏やかな気持ちを感じた後に、必ずと言っていい程襲って来るどんよりとした何とも言えない気持ち。この「落差」のあまりの大きさに、私の精神(こころ)は悲鳴を上げる事が多くなっていた。自分にとって都合の悪いモノは見て見ぬフリをすればする程、悲鳴はやがて痛みを伴う絶叫に変わって行く。

私と言う存在が、やがて必要とされなくなるかも知れない事への恐れにも似た感情。穏やかな気持ちを一気に飲み込んで行く不安な気持ち。

そこに宿る感情が、恋愛感情ならばその時が来ればスッパリと捨てる。でも、それが友情ならば私は友情を捨てる事はしないと思う。でも、時として友情さえも捨てなければならない時もある。それは何よりも悲しく、そして辛い。でも、そうしなければ先には進めない。私は進みたい、その先に。

考えがコテコテに煮詰まってしまっていた大晦日
煮詰まり度合いがMAXになってしまい、どうにもならなくなり友人(と呼ばせていただいていいのかな?)に助けを求めるメールをする「相談に乗ってほしい」と。年末年始だと言うのに、いや〜全く以って傍迷惑なヤツですよ、私ってヤツは・・・。にもかかわらず、友人は私の申し出を快く引き受けてくれた。何てあたたかい人なのだろう。もう、ありがたいのと、申し訳ないのと、うれしいのと、いろいろな思いがごちゃごちゃになって目まぐるしく動き出して、思わず涙が溢れた今年最初の日。

見て見ぬフリをしていても何も始まらない。
見たくないと思っている事は、本当は何よりも見なくてはならない事なのかも知れない、自分自身の為にも。

「一年の計は元旦にあり」
昨日迄の私の一部分は、もう既に過去のもの。