容赦なく西日が射すアトリエで見た絵の記憶

MALENA2006-04-04

初めてその絵を見たのは、容赦なく西日が射し込む叔父さんのアトリエだった。

一人ぽつんと画集を眺める私の目に、何の予告もなしに突然その絵は飛び込んで来た。未だ小学校に入る前だった私は、その絵を目にした瞬間「怖いような、でも見たいような」うまく言葉には出来ない妙な衝動に駆られる事となる。

大人になった或る日、友人と話をしていたら偶然その絵が話題になる。友人も子供の頃に見たその絵の印象が強烈だったらしい。「あれ、何て絵だったっけ?」友人は答える「ゴヤの”巨人我が子を喰らう”だったっけ?」

どうにも気になって調べてみたら、その絵はゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」と言う絵だと言う事が判る。白目を剥き出してヒトを喰らう怪物(に私は見えた)頭部は既に喰いつくされており、赤い血がだらだらと流れる身体を、怪物はガブリとあと二口ほどで喰いつくしてしまいそうな、恐ろしいんだけれども躍動感溢れる絵・・・。

子供心に、何か「見てはいけないモノ」を見てしまったような後ろめたい気持ち。でも、と同時に感じる「見てはいけないモノ」を見てしまった優越感にも似た気持ち。容赦なく強い西日が射し込むアトリエの片隅で、ほんのちょっとだけ自分がオトナになったような気がした。

その後、叔父さんは西日が射すアトリエから朝日が降りそそぐアトリエに移り絵を描いていたのだが、或る日叔父さんは朝日が降りそそぐアトリエから姿を消し、二度とそのアトリエで絵筆を握る事はなかった。絵の具の匂いで満たされていたアトリエからその匂いが消えて無くなった頃、描きかけの絵も絵筆もインドの仏像も何もかもが姿を消していた。主を失ったアトリエには、それでも変わる事なく朝日は降りそそぎ、その中で伯母さんは何を思いそれら全てを捨て去ったのだろう。

それから数年後、小さな海辺の町のアトリエで叔父さんが絵を描いていると言う話を聞いた。そのアトリエの窓からは、何となくではあるけれども朝日ではなくて西日が射し込んでいるような気がする。

おじさんは、今でもそこで絵筆を握っているのだろうか。