何故唖然呆然なのかを考えてみる

昨夜、唖然呆然状態だったせいだろうか。目覚ましをONにせずに眠ってしまったらしい。・・・目覚めれば午前10時。思いっ切り遅刻だ。何やってんだ、自分・・・。

昨夜のような唖然呆然状態になったのは、おそらく生まれて初めてのような気がする。一体何から、どうやって考えを整理して行けばいいんだろう・・・。

今整理しなければ、きちんと旅の事が書けないと思った。

確かに自分も「アッタマキタ!」とか「もう許さんっ!」とか「腸が煮えくり返る」とか言った感情を抱く事はあるが、私の場合友人知人のような間柄であれば、でもなぁ、そうは言うものの、良くしてもらった事もたくさんあるしな・・・と思い、少なからず自分にも原因があると思い、思い止まる、と言うパターンに行き着く。

つまり。
昨夜私が唖然呆然としてしまった人は、全ての事柄に於いて間髪入れずに、私としては、え!?こんな事まで!?と思うような事柄をも含む強固な制裁を発動したワケだから、もう私と言う人間そのものが許せなかったのだろう。その人的には、全ての原因は私にあって、それ故に制裁を発動した。それが全て。

人は誰しも好むと好まざるにかかわらず、日々人とかかわりあいながら生きている。気が合う人もいれば、合わない人もいる。好きな人がいれば、嫌いな人もいる。気が合う人、好きな人だけが自分の周りにいればいいが、それは有り得ないし、気の合わない人、嫌いな人でも「反面教師」として学ぶべき事は多かったりする。人は、人を完璧に無視出来たりするのだろうか?出来れば楽でいいかも知れないけれども、私は嫌だな、そう言った意味で楽に生きてくの。

でも。
その人的に私が原因で制裁が発動してしまったのだから、その事は重く受け止めたい。私も原因になるようなモノをつくらなければ、制裁は発動されなかったのだから。

これにて唖然呆然は終了。明日からは旅の続きを書くとしますか。

〜追記〜
疲れた。
制裁を発動した本人からメールが来ていた。やっぱり、その人的には全て私が悪いと言う事になっていた。人格障害だ、と言うような事も言っていた。(自分には全く非はないからこそ)私の言動が許せないそうだ。もう、そう言う意味じゃないと言う事も、反論も、その見解は違うと言う事も、何もしたくないと思った。謝罪のメールも未読で破棄されていたそうだし、もう私の言動は全て悪意にしか受け取られない。私の言葉を伝える能力が低かったと言う事にしようと思う。精神的に、とても疲れた。