山道を黙々と歩きながら

MALENA2006-11-12

急斜面を黙々と15分ほど下り続けたところでフと立ち止まり思う、いや後悔する。「下りって登りよりも後で脚に来るんだったよな・・・」

マップには丸太の階段と書かれていたものの、実のところは滑り止め程度に丸太が敷かれた急斜面の途中で足を止め、私はこんな事を思っていた。この斜面を下り切ったところには滝があるらしい。山歩きは昨年カンボジアでクバルスピアンの遺跡を見る為に登山して以来だ。しかも、山歩き用の杖も無ければ、熊避け用の鈴も無ければ、足元はクライミング用シューズと言う場違いも甚だしいいでたち・・・。山歩き、甘く見ていた・・・。

進むにせよ、引き返すにせよ判断を下すのは自分自身。その結果、脚が痛くなろうが怪我をしようが全ての責任は自分にある。さて、どうする。「ここ迄来たからには先に進もう」そう決めて斜面を下り始める。私の耳には微かに水の流れる音が届いていたような気がした。

水の流れる音が次第に大きくなるのを感じながら黙々と下る事約10分。滝に到着する。余り長く休憩すると逆に疲れるような気がして、岩場に腰を下ろし5分ほど休憩した後再び出発。途中ロープをつたいながら岩を登り山道に出る。クライミング用シューズ、ちょっとだけ活躍する(笑)

なだらかな上り傾斜の山道を歩く。擦れ違う人はいない。木の匂いや凛とした空気が漂い、木々の隙間からはやわらかな陽の光が射し込む空間を独り占めしている事が凄く贅沢に思えた。歩きながら色々な事を考える。この一ヶ月余りの間に起こった事。これからの事。

黙々と歩きながら、山歩きって人生に似ているな、と思った。
自分の足で進まなければ、目的地に行く事も出発点に戻る事も出来ない。目的地を決めるのも、ルートを決めるのも自分。歩くペースを決めるのも、休憩するペースを決めるのも自分。途中誰かに道や方角を尋ねる事があるかも知れないけれども、最終的に判断するのは自分自身なんだよな、きっと。

そんな事を考えながら黙々と歩いていると、神社の階段のところに戻って来ていた。記憶の中から消してしまいたい過去の出来事を完全に跡形も無く消してくれる消しゴムは無いし、人の心は機械じゃないからクリック一つで消去する事も出来ない。でも、やり直したい地点には戻る事は出来る。そこからまた出発する事は出来る。そう思うと心の疲れは何処かにすーっと消えて行った。(但し、日頃の運動不足が祟り身体の疲れは翌日やって来る事となったのだった・・・苦笑)