「何」が人々の心を惹きつけるのだろう

MALENA2006-11-20

子供の頃、自宅にあった彫刻刀セットの箱には「どことなく微笑んでいるような顔に見える」木彫りが印刷されていた。その表情を見ると妙〜に心が和むとでも言うか。時折、彫刻刀を使うワケでもないのに彫刻刀セットの箱を眺めていたような記憶がある。箱の隅には「円空 作」と言う文字が記されていた。

東京国立博物館で開催されている「仏像 一木にこめられた祈り」を観に行く。絵画展と違って仏像展はそれほど混雑していない筈、と思っていたのだが大間違いだった。展示場はお年寄りから若い人から外国人まで世代・国籍を問わず結構な混雑ぶり。仏像には人々の心を惹きつける「何か」があるのだろう。

子供だった頃、仏像はすっと立っていて、一言も発せず、じっとこちらを見据えているのだけれども、フとした瞬間にすっと動いて、言葉を発して、ピカッと目が光りそうで怖いような気がしていた。でも、その反面仏像を見ていると妙〜に心が落ち着く、と言う何とも表現し難い感情を抱きながら仏像を見ていたような記憶がある。今にして思えば、作品に込められた作り手の魂のようなものをどう感じたらよいものやら思いあぐねていたのかも知れない。

仏像の衣が柔らかに重なる様は、木材と言う硬さのある素材で表現されるからこそ、衣の隙間に空気を孕んだような柔らかさを際立たせるようにも思える。そしてまた、仏像がすっと立つ姿には木材の硬さを感じる。「硬さ」と「柔らかさ」と言う相反するものが互いに美しく共存しているところが心を惹きつけられる「何か」の一つなのかも知れない。

円空の仏像は、やはりどことなく微笑んでいるように見えた。在り来たりな言い方になってはしまうが、妙〜に心が癒される。向き合っていると自然に顔が微笑んでしまうとでも言うか。木材をザクっと割ったままの状態をそのまま作品に生かしているあたり、円空って結構豪快な人だったりしたのだろうか?

遠い昔から、仏像はすっと立ち続け何を見て来たのだろう。
仏像と向き合う時は、心のどこかで自分と向き合っているのかも知れない、とフと思った。