金城町の石畳道を黙々と歩く

MALENA2006-12-04

先日テレビを見ていたら、江口洋介がお遍路さんに扮し四国八十八箇所を巡礼しているドラマをやっていた。皆それぞれに「何か」を見つける為に黙々と歩く。人は「何か」を見つけたいと思った時は黙々と、ただひたすら歩き答えを見出そうとするものなのかも知れない、とフと思う。

その日、私は首里金城町の石畳道を黙々と歩いていた。
この金城町の石畳道は、15世紀頃に首里城から那覇方面に向かうために整備された真珠道(まだまみち)の一部なんだそうだ。この石畳道界隈には赤瓦屋根の民家も点在しており”古き良き琉球”の風情をちょっぴり垣間見る事が出来る。

この石畳道には、遠い昔からこうして穏やかな風が吹き、静かに時間が流れて来たのだろう。ある時代を除いては。

勾配もキツく、決して歩きやすいとは言えない石畳道だが、それ故に一歩一歩自分の足で石畳を踏み締めている実感が身体中の細胞の一つ一つに迄伝わって来るような感じがした。

でも、何で私はこの石畳道を歩いているんだろう?
失った時間を取り戻す為に?
見失った自分を取り戻す為に?
いや、本当はそんなにセンチメンタルなモノでもなくて。
今年の夏の終わりまで過ごした時間に句読点を付けたくて。
自分の足で歩く度に辛かった事や悲しかった事がぽとぽとと落ちて行くんじゃないか、と思って。
いや、思えば句読点は既に打たれていて、辛かった事や悲しかった事もとっくに自分の手で払いのけていて。
失った時間、失った自分って一体どんな時間と自分なんだろう。

ゴタゴタと考え事を並べてはいるけれども、本当のところはもう何もかもリセットしたいのかも。

センチメンタルもリセットも全部本当。嘘はつきたくないから、いろいろなモノを抱えながら私は石畳道を歩いている。だから重たい。嘘つきになったら身軽に生きられるんだろうか。嗚呼・・・何だかもうよく解らない。

昼食をとり石畳道を戻りゆいレール首里駅迄の道のりを延々と歩く。
「何だかもうよく解らない」気持ちは解消されなかったが、考え事は一つずつ整理されて引き出しの中にしまう事が出来そうな気がした。

抱えたモノが重たく感じるのは、今の自分に抱えられるだけの体力がないだけだ。体力をつければ抱える事が苦にならないワケでしょ。だったら体力つければいいじゃない、無理せずに。何でもかんでも抱え込もうとするのが私の良くないところ。だから、要らないモノは捨てればいいんだよ、きっと。

自問自答に没頭していたら首里駅に到着していた(笑)