「壺屋やちむん通り」からマグカップを連れて帰る

MALENA2006-12-10

「まちぐゎー」で買ったサーターアンタギー(沖縄のドーナツ)を食べながら第一牧志公設市場を目指し市場本通を歩く。昨日市場の写真(青い魚とか)を撮るのをすっかり忘れていたからだ。

市場の前に着くと、何となく様子が違う・・・。妙〜に静かだ・・・。あ・・・しまった!最終日曜は市場が休みだったんだっけ!?仕方ないので、紫色(紅いも)のサーターアンタギーを食べながらまちぐゎーを進む。フと気付けばアーケードは途切れていたが、適当に歩いて行くと「壺屋やちむん通り」に出ていた。

「やちむん」は、多分沖縄の言葉で焼物(陶器)の事を言うんだと思う。石畳の通りの両側には焼物屋さんが軒を連ねていた。或るお店で陶器を幾つか手に取って眺めていると「アナタは読谷焼(よみたんやき)がお好きなようねぇ」と店主らしき女性に声を掛けられる。読谷焼はどちらかと言うと落ち着いた色合いが特徴なのに対して、壺屋焼は魚などをモチーフにした図柄のものが特徴なんだそうだ。そう言われて改めて壺屋焼を手に取ってみると、なるほど、海中を尾びれをくねくねとさせながら泳いでいるかのような魚が描かれていた。

何件目かに足を踏み入れた焼物屋さんで、フと或るマグカップと目が合う。今迄入ったお店では見た事のない雰囲気。全体的に深い茶色で、どこかアジアっぽい図柄が施されたマグカップ。訊けばこれもまた壺屋焼なんだそうだ。二度、三度とマグカップを手に取ってみる。手に取れば取るほど、両手で包み込めば包み込むほど土の温もりのようなものが伝わって来る。むぅぅ・・・連れて帰るとするか!(笑)

マグカップを購入した育陶園さんから壺屋焼の由来と特徴が書かれた紙をいただく。

今から300年程前、琉球王府は薩摩から朝鮮人の陶工を招き朝鮮式陶法の習得に力を入れ始めました。そして1682年琉球王府の手によって各地の窯が統合され現在の壺屋が誕生しました。

壺屋焼は「上焼」と「荒焼」に大別されます。
「上焼」とは、釉薬をかけ約1200℃の高温で焼かれたものです。主な製品は碗、皿、鉢、カラカラ、花瓶など日常生活用品が多く、壺屋焼の主流を占めています。「荒焼」は南蛮焼ともいわれ釉薬をかけないで約1000℃で焼かれたものです。主な製品は酒甕、水甕類など大型の容器を中心に作られています。

焼物には全く詳しくないけれども、自分が訪れた場所の成り立ちや歴史を知る事が出来た事は良かったかな。

国際通りやまちぐゎーと違って、壺屋やちむん通りにはそれ程行き交う観光客の姿も無く、夏の終わりのような陽射しが降り注ぐ石畳の道には静かな空気と時間が流れていた。