大地の記憶

MALENA2006-12-13

海に向かう途中の道の両側にはさとうきび畑が広がる。
そこには「ざわわ ざわわ ざわわ」と言う音が静かに広がっていそうな、そんな風景だった。余りにもその風景が穏やかで、私はやっぱり悲しい気持ちが込み上げて来る。
因みに、南大東島でもさとうきび畑が続く風景を目にする事が出来るんだそうだ。南大東島さとうきび畑にも「ざわわ ざわわ ざわわ」と風が通り過ぎているのだろうか。

先の戦争で、日本国内で唯一地上戦が行われてしまった沖縄。特に南部の戦況がとても悲痛なものであった事は、学校で社会や歴史の時間に教わり知ってはいた。民間人、軍人を含め追い詰められ断崖から身を投げる者、自決する者。敵に居場所を知られては困るからと赤ん坊や小さな子供は真っ先に殺されんだそうだ。本来であれば、命を絶たれなければならない理由なんか何一つない人々の命が次々と容赦なく奪われ絶たれて行く。

先の戦争で南部一帯は焼け野原と化したんだそうだ。
焼け野原にも風は穏やかに吹いていたのだろう。空は何処までも青く、海は深く青かったのだろう。東の空から陽は昇り西の空に沈んで行く。悲痛な光景の下でそれでも繰り返される自然の営み。そして月日が流れた今、さとうきび畑に穏やかな風が吹いている。

沖縄では、先の戦争で民間人、軍人を含め23万人の人たちが亡くなったんだそうだ。23万人と言えばそこそこ大きい地方都市の人口に匹敵する筈。何て悲しい事なのだろう。沖縄のお年寄り(おじぃ、おばぁと言われている)は昔話はよくするものの、戦争の事については余りにも多くの悲しい記憶が深く刻まれてしまっているのだろう、自らは語りたがらない人が多いんだそうだ。思えば、終戦後シベリアに抑留されていた祖父の口から戦争の事を話された記憶は無い。誰の心にも悲しい記憶を深く刻む戦争。それなのに現在でも世界の何処かで戦争が起きている。本当にやるせない。

独立した国であった琉球は、1872年に沖縄県として日本に属し、先の戦争の後アメリカ統治となり、1972年に日本本土に復帰する。歴史に翻弄され続けた沖縄の人たちは、どんな思いで空を見上げて来たのだろう。

南部に来て空を見上げて悲しい気持ちが込み上げて来たのは、私の両足が南部の大地から過去の悲しい出来事の記憶を感じ取ったのかも知れない、とフと思った。