龍安寺の石庭で小一時間考え事に耽る

MALENA2006-12-26

陽のあたる場所からほんの身体ひとつ分動いただけで体感温度が一変する。そしてまた、陽のあたる場所にある石は柔らかな輝きを放ち、陽のあたらない場所にある石は冷たい輝きを放つ。石はそこにあるだけで様々な「世界」を見せてくれる。

訪れる度に違った表情を見つける事が出来る龍安寺の石庭。以前訪れた時、私の隣で静かに石庭を眺めていた欧米人と思しき男性が、ひっそりと小声で「これはまさに宇宙だ」と呟いていた事が思い出される。

御室仁和寺から龍安寺までは徒歩で10分ほど。未だ午前9時一寸過ぎだった事もあり、石庭を眺めているのは私の他には男性が一人だけ。”余計な音”を耳にする事なく石庭を眺められ心が落ち着く。

これ迄は何故か観光客満載状態の午後2時過ぎに訪れてばかりで、おばちゃんグループや女の子グループなんかの「石庭とは何の関係も無い話」で大声で盛り上がっている状態の中で集中力も途切れがちに石庭を眺める場面も多々あったりした。なので、今回のように穏やかな気持ちで石庭を眺められる事が凄く嬉しく、気が付けば小一時間ほど石庭を眺めていたワケで。

陽のあたる場所はポカポカと暖かい空気に包まれているのに、身体ひとつ分動いた日陰はつーんと冷たい空気に包まれている。本当に小さな一角で光と影が織り成す光景。暖かい空気も冷たい空気もそこにあるもの。柔らかな輝きを放つ石も冷たい輝きを放つ石もそこにあるもの。時間の流れと共に暖かい空気は冷たい空気に変わり、石の輝きも変わって行くのだろう。

陽のあたる場所の空気が暖かいと感じるのは、日陰の空気が冷たいからこそであって、その逆も然り。石の輝きが柔らかに感じられるのは、冷たい輝きがあるからこそで、その逆も然り。どちらかの存在が欠ければ、その存在は決して成り立たない。

今自分のいる場所に流れる空気が冷たかったとしても、冷たさを感じた分だけやがてやって来るであろう暖かい空気を心の底から暖かいと感じる事が出来る筈。朝の来ない夜はないし、春へと続かない冬もない。明けない夜はないし、終らない冬もない。石庭の石たちはそこにじっと佇んでいる。時間の経過と共に陽射しや空気の流れが変わって行く。自分をしっかりと持ってさえいれば、時間の経過と共に状況が変わって行く。何よりも大切な事は自分をしっかり持つと言う事。自分自身の「軸」がブレてしまったら、時間の経過にも状況の変化にも気付けないから、ね。

なんて事を考えながら石庭で小一時間過ごした私は単なる暇人ってヤツか・・・(笑)

龍安寺にはほんの少しだけ紅葉が残っていた。
鏡容池に映る紅葉が美しかった。湖面の紅葉がちょっぴり歪んでいるのは、可愛い鴨たちの悪戯(笑)