道を歩く。シンプルだけど大切なこと

MALENA2007-01-23

狭い道の角を曲がればまた狭い道。ちょっとしたトンネルのような小路を潜ればその先に狭い道が続く。京都の街はおもしろい。

私が生れ育った札幌には古い歴史のある建物や街並みがない事もあり(札幌以外の地域も同じ)道幅が狭くて簡単な迷路のような道のある街並みにに出くわすとついつい歩いてみたくなる。

高台寺付近の小路を歩きながら、今自分が歩いているこの道と、自分が住んでいる東京の部屋の前を通る道は”道”で繋がっているのかと思うとゾクゾクしてしまう。子供の頃、自分の家の前の道と見知らぬ町が繋がっているのかと思うと猛烈にワクワクした。この道は友達の家や学校に繋がっているのは勿論のい事、街(大通り周辺の事)や動物園や、果ては遠くに住む祖父母の家にも繋がっている!道って凄い!と思いながら街まで自転車を走らせてみた(途中で立ち漕ぎを交えながら)小学生の私・・・。今思えばやや風変わりな子供だったのかも知れない・・・。

この道をちょっとだけ進んだ先にはどんな世界が広がっているんだろう。

そして、その道を更に進んだ先には何があるのだろう。

夜な夜なそんな事を考えると、宇宙の終わりは何処なんだろう?と考える時と同じくらい眠れなかったりしたけれども、思えばそれが旅に出たいと思う気持ちの原点だったのかも知れない。

旅先で道を歩きながら、時には立ち止まりながら目で見たもの、耳にした音、肌で感じた事の全ては私の中に記憶として刻まれて行く。それらの記憶は微かになる事はあっても、決して消去されてしまう事はない。なぜなら、それらは脳ミソだけではなくて、「全身」で感じる事によって刻まれた記憶だから。

高台寺付近の小路を抜け気の赴くままに歩けば清水寺界隈に辿り着く。
「導く」と言う漢字には「道」と言う字が入っているように、私は「道」によってここに辿り着いたのだろう。道を進む事はやっぱり楽しいのだ。