知恩院ブランド!?の筆ペンを連れて帰る

MALENA2007-01-28

京都の旅では危うく!?「仏像フィギュア」を買うところだった私だが、やはり買っていたのだ、風変わりなお土産を・・・。

知恩院で温かい飲み物を飲みたくなり立ち寄った売店。そこには土産物コーナーも併設されており、お菓子はもとより、各種お守りや木魚をはじめとする仏具や湯葉などちょっぴり心惹かれるモノが置かれている。特に木魚は掌に乗りそうな小さなサイズものが、ド派手な座布団(正式名称は座布団ではないが)の上にちょこんと乗っていて、不謹慎な言い方かも知れないが微妙〜に可愛らしい。

でもなぁ・・・。そう言う”理由”で木魚買っちゃいけないよな・・・。
と言うワケで木魚コーナーから遠ざかる私の目に、フとあるモノが飛び込んで来る。それは、知恩院と彫られた竹製の筆ペン。試し書きしてみると、筆っぽくて結構イイ感じ。途端に連れて帰りたい衝動に駆られる。にしても・・・何で私は唐突に筆ペンが買いたいのだろう!?

日常に於いては、それこそ”殴り書き”に近い文字を書いている私。せめて筆を持った時くらいは丁寧に字を書きたいものだ、日本人として。それに、筆で字を書く事は集中力が養われるからいい。

と言うワケで、些か発作的とも言える購買意欲により連れて帰る事となった知恩院ブランド!?の筆ペン。早速「般若心経」を書いてみる。筆で字を書くのはン十年振りと言う事もあってか、集中力の前に手が思うように動かず(つまり、筆が上手く運べない・・・)書き終えた後はドッと疲労感が・・・(苦笑)が、しかし。筆を持ち、心静かに集中して字を書く事は「無」に近い状態になれていい、と思った。そう言えば、般若心経の中には「無」と言う文字が何度も出て来てたなぁ。

日々の生活の中で、心の中を「何も無い」状態にするのは難しい事は難しいと思う。特に私のようにあれこれと考え事をしてしまうタイプの人間は。でも、たからこそ「何も無い」状態にする時間は大切なんじゃないか、と思う。表面張力を超えたグラスからは水が零れ落ちるし、水浸しのスポンジは何も吸収しない。

何かを得れば何かを失い、何かを失えば何かを得る。
何かを失い絶望の淵に立っていたとしても、実はそれは失ったもの以上の何かを得る為の最初の一歩。「ええい!」と更に一歩踏み出せば、もう「何か」を半分得たのも同じ。後は歩いて行くだけだ。マイペースで、ね。