祖父的には、古伊万里<奇妙なかたちの切り株

先日遺伝子の事を書いた後でフと思い出した事がある。

今の自分を形成しているのは、父母、祖父母、十数代前のご先祖様の遺伝子らしいのだが、私の場合は明らかに父母よりも祖父母の遺伝子が強く出ているらしい。母に言わせると私の特に気に入ったモノがあると集める(収集癖)ところや、普通の人が余り選ばなさそうなモノを買う傾向は、母方の祖父に凄く近い部分があるんだそうだ。俗に言う隔世遺伝と言うやつか。

そんな祖父が集めていたものたちは、一風変わったものたちだった記憶がある。記憶にあるところでも、変わったデザイン限定の帽子。絶対に騙されて買ったに違いない日本刀。虫眼鏡。ラジオ。櫛などなどだが、最高に変わっていたのは”とびっきり奇妙なかたちをした切り株”だったと思う。一体どうやって手に入れていたのだろう・・・。そんな切り株たちを、祖父は私の家にも送ってくれたりもした。おそらく集め過ぎて祖母にたしなめられたのだろう・・・(笑)

そんな祖父は、祖父の実家にあった古伊万里のお皿や掛け軸なんかには全く興味がなかったらしく、それらの品々は皆他の兄弟や親族に持っていかれてしまったんだそうだ。唯一手にした掛け軸も「要らない」と言う理由で母に渡したんだそうだ。祖父は古伊万里や掛け軸の価値は分かっていたと思う。でも、自分的に価値がないものには興味がなかったのだろう・・・。

夏休み、私や弟の手を引いて二つの川が轟々と渦を巻いて合流する場所や、もの凄い数の蛾が集まる街灯の下に連れて行ってくれた祖父。虫眼鏡で新聞紙を焼いて見せてくれた祖父。田舎は何かと退屈だろうとウサギを借りて来てくれた祖父。買ってくれた人形に勝手に「ジジ(爺)」と言う名前を付けた祖父。毎朝一緒にラジオ体操に行ってくれた祖父。昔飼っていた犬と一緒に写っている写真を見せてくれた祖父。自作の鼻歌を歌いながら酒の肴を作っていた祖父。

ちょっぴり変わっていたのかも知れないけれども、私はそんな祖父が何だかとても好きだった。

そんな祖父は、私が小学生だった夏の或る日、本当に信じられないくらいにフっとこの世を去った。脳溢血だった。昨日鼻歌を歌っていた祖父は白い着物を着ていて、何度も何度も呼びかけても返事をしてくれなかった。祖父の手は夏なのに本当に冷たくて、突きつけられた現実の残酷さに子供だった私は気が変になりそうだった。不本意に延長された夏休み。私は現実の残酷さについて子供の頭で精一杯悶々と考える事となる。

生きている限り、時として残酷な現実を突きつけられる事はある。残酷な現実は心に深く暗い影を落とすけれども、影があるからこそ光を感じる事が出来るとも言える。祖父の死は、残酷な事を残酷な事として受け止めなければならない時もある(現実を直視する事)と言う事を教えてくれたのかも知れない。

はて?遺伝子の話しがフと気付けば現実直視の話しになっている。何でだろ!?(苦笑)