金の鯱ばかり見上げてしまった名古屋城

MALENA2007-02-15

札幌出身だと言うと、結構な割合で、しかも真顔で「北海道って普通に熊とか道歩いてるんでしょ?」と訊かれたりする・・・。むぅぅー、基本的に熊(北海道に生息しているのはヒグマ)は山にしかいない。

自分が慣れ親しんだ土地じゃなく、加えて一度も訪れた事の無い土地って結構”オカシナイメージ”がいつの間にかインプットされていたりする。かく言う私も、名古屋については「誰もが皆日常会話では語尾に”みゃー”を付けて会話している」と思っていた。にゃんこみたいでカワイイかも、などと思いながら名古屋に初上陸した時、それは単なる思い込みだった事を知る。この一年の間で語尾に”みゃー”を付けて会話しているのを耳にしたのは数回だけ。発音も「みゃー」と言うよりは「みゃ」で、皆年配の方たちだった。

「みゃー」の次に思い浮かぶのが「金の鯱」だったと言うワケで、地下鉄に乗って名古屋城を見に行く。名古屋城徳川家康が清須から名古屋へ遷府を決定したのに伴い、東海道の要所、大阪方への備えとして1612年にほぼ完成したお城なんだそうだ。明治維新をむかえる迄尾張徳川家の居城として栄えた名古屋城だが、第二次世界大戦中の名古屋空襲の時に金の鯱を含む建物の多くが焼失してしまい、現在目にしている天守閣と金の鯱は、昭和34年に再建されたものなんだそうだ。

初めて名古屋城を目にして思う。お城が大きくて立派なせいなのか、思っていたよりも”こじんまり”として見えた金の鯱。何だか金の鯱が気になって、お城よりも鯱ばかり見上げていたような気がする・・・(笑)そんな金の鯱だが、金故に藩の財政が厳しい時には削り取られたり、はたまた盗難に遭ったりした事もあるんだそうだ。

お城の中は5階迄が博物館になっていて、6階部分が展望室になっていた。展望室からは遠くの山々が見渡せた。遠くの景色を眺めているとガイドさんのちょっと面白い話が聞こえて来る。

ガイドさんが言うには、信長は日本中を駆け巡っていたような印象があるけれども、実際はこの名古屋城から見渡せる範囲内を主に駆け巡っていたんだそうだ。あちら側が三重方面で、こちら側が岐阜方面で、向こうは琵琶湖方面だと説明していた。信長はこの範囲を駆け巡っていたんですよ、意外に狭いでしょ、と。因みに信長が生まれたのは名古屋城から程近い町だったんだそうだ。

今から400年程前、おそらく日本で一番ホットな土地だったに違いない名古屋とその周辺。その当時の人たちも語尾に「みゃー」を付けて話していたのだろうか?とフと思った。