「美しい」が「濃い」の国で見た夕焼け

MALENA2007-03-01

高山線高山発美濃太田行きの列車の窓からは長閑な山郷の風景が見える。ローカル線ならではの風景か。

新幹線や特急列車に乗っていたら、きっと見逃してしまうであろう畑仕事をするおばさんや踏み切りを待つ人の顔も普通列車の窓からなら見て取る事が出来る。レールを走るカタンコトンと言う音。急ぎすぎない速度。長閑な風景。どれも皆本当に心地良くてほうっとシアワセな気持ちになる。

高山を出発してからは山郷の風景が続いていたが、下呂温泉あたりに来ると線路沿いに緑色をした渓流が姿を現す。渓流沿いにはごろごろとした大きな石と言うか岩が不規則に並んでいて渓流下りをしたら凄く楽しそうな感じだ。この辺りの自然は山々に守られているんだな、と改めて思う。

それにしても。
列車のあのカタンコトンと言う音とリズムはどうしてこうも眠りを誘うのだろう。無意識のうちにリュックに寄りかかり眠ってしまっていたようで、フと目を覚まし窓の外を見ると山郷の風景は平地の風景に変わっていた。何時どの時点で山は終っていたのだろう・・・風景が変わり行くの見逃した・・・と思っていたら終点美濃太田到着のアナウンスが流れる。

美濃太田からは多治見行きの太多線に乗り換える。
美濃太田に到着したのが午後5時半近くだった事もあり、多治見行きのホームでフと見上げた空は夕焼け空だった。昔、この辺りは「美濃の国」と呼ばれていたんだよな。”美しい”が”濃い”国か。一体どんな美しさが濃かったんだろう。風景?自然?綺麗な女性が多かった?そんな事を思いながら見上げる夕焼けの空はちょっぴり悲しいようで、でも素直にきれいな夕焼けで。

多治見行きの太多線は2両編成の超ローカルちっくな列車だった。途中「姫」と言う名前の駅がありちょっとおもしろい。美濃太田から多治見迄は約30分の旅だった。多治見からは中央線の快速列車に乗り名古屋へ。名古屋迄は約30分でそれこそあっと言う間だった。午後6時30分頃名古屋到着。ホームにはたくさんの人が行き交い、チラリとトヨタ本社ビルが見える。名古屋迄戻って来た事を実感すると同時に旅が終わった事も実感した瞬間。

何処を旅してもそうだが、旅の終わりはやっぱり寂しい。おそらく「終わり」と言う言葉が寂しさを助長させるのだろう。

でも。よく考えてみるとちょっと違うかも。

「終わり」があるから「始まり」があって。
何かが「終る」からこそ「始まる」事が出来るのであって。
何かが「終らない」と「始める」事が出来ないのであって。
「終わり」と「始まり」は繋がっていて、「終わり」が無いと「始まり」もない。何かが「終る」事は何かが「始まる」事。だから、終わりは決して寂しいものでも悲しいものでもない。

って思えるのも旅をしたからこそ旅を通して思えた事。そう考えると、こうして旅が出来た事に感謝。旅の終わりは旅の始まり。

さてと。
次は何処に行こうかな(笑)