蔵の町でカレーを食べ損ねる

MALENA2008-01-27

昭和な香りが漂う「ナワテ横丁」の看板に誘(いざな)われフラフラと小路を歩いて行くと、やたらと混んでいる店に出くわした。

「家政婦は見た」の市原悦子みたいに(怪しい・・・)ウィンドー越しに中を覗いてみると、人ごみの間からケーキが見える。嗚呼、そうか・・・。今日はクリスマスイブだったワケか。と今更思う”一人家政婦は見たごっこ”なんかしてる自分、微妙〜に気色悪くないか・・・(笑)

頭の中では「家政婦は見た」のメロディが繰り返される中、更にフラフラと歩いて行くと白い蔵が立ち並ぶ一角に出た。この辺りは「蔵のまち中町」と呼ばれているんだそうで、白と黒で凹凸感のある壁は「なまこ壁」と呼ばれているんだそうだ。

蔵を利用した様々なお店が軒を連ねる中で、10人程の行列が出来ていたのがデリーと言う名前のカレー店だった。

嗚呼〜カレー食べたいし!と思うものの、先ほど1.5人前はある「田舎そば」を食べたばかり・・・。泣く泣くデリーを後にする。

趣きがある漆器屋さんの看板。

その後、時計博物館で江戸時代の和時計などアンティーク時計たちを見る。展示されている時計たちは、かなりの年代モノであるにもかかわらず、この瞬間も時を刻んでいて(動態展示)ちょっぴり鳥肌が立ってしまう。

フと「大きな古時計」の歌を思い出した。
おじいさんが生まれた朝に買って来た時計は、おじいさんと一緒に100年時を刻み続け、おじいさんが天国へと旅立ったその日に、時計が時を刻む事はなくなる。”今はもう動かないその時計”の歌詞が、ぽつんと取り残された時計を彷彿させてとても悲しくなったんだよな。

生きて行く、って事は、一秒一秒を大切に刻んで行く事なのかも知れないな、と思いながら左手の腕時計を見る。このスウォッチのクロノは、これまで私と一緒にいろいろなところを旅して来た時計だった。

「この時計とまた旅の時を刻もう」と、夕暮れの松本の空を見上げながら思った。