湾岸通りをフラフラ歩く
絶対に起こり得ない事なんだけれども、このトンネルを抜けた先には全く別の世界が目の前に広がっているような気がしないでもない。
父島をはじめとする小笠原諸島が、第二次世界大戦中は戦場だったから、フとそんな気がしてしまったのだろうか。
父島滞在最終日。思えば父島を余りフラフラしていなかったので、出航迄の時間気の向くままフラフラしてみる事に。
村役場近くで見た横断幕。
確か、環境破壊が理由で父島、兄島には空港が造れないんだったかと。緊急事態以外は、週に一便で片道25時間半の船のみが交通手段、そして生活物資等を運ぶ手段と言うのは、父島に住む人たちにとっては生活して行く上で不便なのだろう。
訪れる者には「簡単には行けないから”こそ”小笠原」だけれども、そこに住む人たちにとっては決してそうとは言えない現実があって。
青灯台に停泊していた「共勝丸」
思っていたよりも大きな船だったが、おが丸と比較するとやはり小さい。この海況で、この大きさの船で48時間の旅はツライ、と言うかキツイよな、やっぱり・・・。
船乗り場から少し行ったところにある「大村トンネル」
自転車に乗ったおじさんが、すうっとトンネルに吸い込まれて行った。何だかよく解らないんだけれども、おじさんがトンネルの途中で消えやしないか確認していた自分・・・(笑)
このトンネルを通ればとびうお桟橋方面への近道になるみたいなのだが、自分には”何となく”このトンネルを通る勇気!?が無く(笑)ちょっぴり遠回りしながら「小笠原海洋センター」目指しフラフラと湾岸通りを歩き続けるのだった。