そして、涙は凍りついた心と身体を一気に溶かした。

棺に静かに横たわる友人Sの顔を見た瞬間、変わり果てた姿に心と身体が凍りつく。そして次の瞬間、怒涛の如く溢れ出す涙が凍りついた心と身体を一気に溶かした。

「(彫刻家として、だと思う)未だやりたい事があるんだ。だから、あとせめて5年は生きたかったよね・・・。」と言っ友人S。その言葉が頭を過ぎったせいなのかな・・・私はSの顔に壮絶であったであろう闘病の痕と、やれなかった事への思いのようなものが見えて、余りの悲しさに涙が止まらなくなる。

2月の或る日。大学病院のエレベーターをSに指定された階で降りる。待っていたのは帽子を被ったS。その姿を見て、これから彼の口から語られるであろう内容を思うと、小刻みな震えが止まらない。ナースステーションには「腫瘍内科」の文字。その瞬間、小刻みな震えは大きな恐怖と悲しみに変わった。

「ごめん。声、大きく出せないんだ・・・」と言って、Sはいつものように穏やかな優しい口調で、でも、静かに淡々と状況を話し始めた。

昨年末にスウェーデンで仕事をしている時、余りに頭が痛いので病院に行ったら、脳に腫瘍があると言われた事。病院では脳腫瘍の事だけ言われたが、カルテには肺に影があると書かれているのを見てしまった事。帰国して脳腫瘍の手術の際に、脳の腫瘍は肺ガンが転移して出来たのものである事。

友人Sの口から語られる事実に私の感情が着いて行けない・・・。でも、この段階で私は希望の光を見ていた。手術すれば治るんだよね、大丈夫だよね、って。

そして、Sは自分が今何故大学病院に居るのかをゆっくりと話始めた。
肺ガンは今ステージ4の段階にある事。ステージ4は肺ガンの最終ステージで、つまり肺ガンの末期である事。既に肺のガンに対する手術は出来ない段階で、今は最初の抗がん剤治療をしている事。そして、ガンは他の臓器にも転移が見られる事。医師にあとどれくらい生きられるのか訊いた事。

あと、どれくらい生き”られる”って・・・希望の光が大きく歪んだ瞬間だった・・・。

もう、私は「どうして?」と言う言葉を繰り返しながら、ただただ泣く事しか出来なかった。「どうして?」以外の言葉が出て来ない・・・。

「ごめん・・・言葉が見つからないよ・・・ごめん」と言う私にSは「多分、こんな時はそれが当たり前の、普通の感情なんだよ、だから、ハズ、(Sは私の名前を略してこう呼ぶ)それでいいんだよ。それに、オイラは今すぐ死ぬワケじゃないし、ね。」と。

「し・・・死ぬって言うなーーーっ!!!」会話が何時もの調子に戻った瞬間だったけど、やっぱり私は泣いていた。そして、その後私はずっとSの手を撫でていた、泣きながら。彫刻家として作品を生み出して来た、ちょっぴり神経質そうで、ちょっと大きくて、すっと長い指をしたその手から伝わる優しい温もり。言葉を交わすワケでもなく、Sの手を撫でながら流れた穏やかで静かな時間。

それから三ヶ月と一寸。
棺の中のSは顔以外全て白い布で覆われていて、手を目にする事も触れる事も出来なかった。この先彼の手が作品を生み出したり、私の頭をコツンとする事も、もう二度と無いんだ、と思うとやっぱり涙が止まらない。

こうして言葉にする事、文字を綴る事、思っていた以上に、物凄く辛いです。
文字を打ち込んでは涙し、その時の状況を思い出しては涙し。そして、元気だった頃のSと棺の中のSの顔を思い出しては涙し。正直、もの凄く苦しいです。

友人Sは私の大切な友人であると同時に、時に兄のような、父のような、人間としてとても「大きな人」でした。そんな大切な友人を失った悲しみは、余りにも大き過ぎて・・・。書いて涙して、文字を並べて綴って涙して、そうして少しずつ、少しずつ現実と向き合って行くしかないのかな・・・。