遺影に向かって心の中で呟いた言葉

今日の夕刻、友人が自宅に大きな封筒を届けてくれた。友人は「折り曲げたくないので・・・」と、わざわざ母に手渡してくれたらしい。

友人が届けてくれたのは、数年前の新聞に掲載されたSのインタビュー記事だった。無邪気な悪戯っ子みたいな笑顔のSの写真を見ると、やっぱり涙が溢れてしまう。そして、Sの記事を丁寧に扱ってくれた友人の気遣いに感謝の気持ちと、涙が溢れた。この場を借りて友人へ:本当にありがとう!!!

この新聞記事から数年後。
夏の終わりの頃、東京から札幌に一寸ばかり遅い夏休みで帰省していた私は、友人MとSの三人でSが学生時代住んでいた街の居酒屋で在り来たりな飲み会をしていたのだが、そこで私とMはSからSが肺気腫と言う病気になってしまっていた事を告げられる。S曰く、肺気腫と言う病気は病状が悪くなる事はあっても、良くなる事は決して無い、のだと・・・。

あくまで淡々と病気の事を話すSに、セカンドオピニオンを強く勧める私とM。でも、Sは「大丈夫、大丈夫って〜」って言ったんだよね、無邪気な悪戯っ子みたいな笑顔で・・・。あの時、Sに嫌われようがウザがられようが国交断絶されようが、他の病院にSを強引に引き摺ってでも連れて行っていたら、定期的に検査をするように説得していたら、Sは肺ガンでこの世を去る事は無かったかも知れない・・・。

そして、昨年の春。
「腰が痛いから来て!」とSからメールが来る。そう言えば、冬にも「最近何だか判らないけれども腰が凄く痛い」と言っていたS。無理な姿勢で製作とかしていたのかな、と思いながら飲み物やらプリンやらを持ってお見舞いに行く。「寝てた・・・」とテンション低く言うSの顔色が良くないので心配になる。疲れてるのかな・・・。「痛みが酷いなら、整形でちゃんと診てもらった方がいいよ」と言ってもSはスルー。そして「ハズお腹空いてないの?ごめん、今、胃も痛くてさ・・・ここのところずっとなんだ。痛みが治まったらゴハン食べに行こう。それ迄一寸寝ますね」と言うとSは眠ってしまった。無防備に投げ出された踝から下の小さめで足幅の細過ぎる足が、何となく可愛らしくも見えた。

あの時、私が勧めるべき病院は整形外科じゃなかったんだよね。
あの時、おそらく肺ガンはかなり進行してしまっていたんだよね。
腰の痛みの原因はおそらくガンだったのかな、って。胃の痛みは実は肺ガンの痛みだったのかな・・・。Sが身体のあちこちを痛がっていたのに、どうして私はそれが重い病気から来るものだって一寸でも気が付けなかったんだろう・・・。もし、気付いていれば手術が出来たかも知れないのに・・・。

Sのお通夜があった夜、仏教に精通している友人からのメールには「明日の出棺までに、遺影に向かって謝る事は謝り、お礼を云いたいのであれば『ありがとう』と一言かけて下さい。」とあった。

告別式の朝、私は友人の遺影に「病気の事気付けなくてごめんなさい。そして、君と友人になれた事、本当にありがとう」と心の中で呟き合掌した。遺影の中の友人Sは「無邪気な大人の笑顔」だった。

重たい気持ちで今日の日記を書き始めたら、東京の友人から電話が来た。
友人には告別式の早朝に辛い気持ちをメールしたのだが、友人からの返信に凄く救われた。それだけでも有り難い事なのに、電話をくれた友人には感謝です。ずっしりと重たかった気持ちを、友人との会話の中で吐き出す事が出来たから、今日の日記は涙は程々に書く事が出来たよ。ありがとう!!!

静かに見守ってくれている友人、エールを送ってくれる友人、そして、ここを見てくださっている方たちへ:本当にありがとう!!!