それは、きっと笑顔だった。

「お互いに歳とって、おじいちゃん、おばあちゃんになったら、その時は縁側でのんびりお茶でも飲もう」と言う友人Mと私に向かって、「アハハ!何だよーそれ」と口を思いっきり開けて屈託の無い笑顔で答える友人S。

思えば、Sは何時だって笑顔の人だった。
Sは時として厳しい事も言ったりするんだけれども、その後は必ず「大丈夫!」と言って、口を思いっきり開けて笑ったっけ。その笑顔を見ると、何だかホッとして。きっと、たくさんの人がSの笑顔にホッとしたり、癒されたりしたんだろうな、と思う。

私の中では、笑顔のSの印象が強いからなのかな・・・。棺の中のSを見た瞬間心臓が止まりそうになって・・・。本当に君なの?って・・・。

どうして・・・。棺の中のSは私達の知っている君じゃない・・・。今、私達悪い夢でも見てるのかな・・・。そうなのかな・・・。

施された化粧、違和感のある骨格、そして、半分ほど開かれた口。
Sの闘病生活がどれほど辛く苦しいものだったのだろう・・・。最期は呼吸が苦しかったのかな・・・それとも何か言いたかったのかな・・・だから、口が開かれているのかな・・・。そう思うと涙が止まらない。そして、悲しい感情を抑えられない。

Sの旅立ちを見送って数日の間、棺の中のSの顔が頭から離れなかった。開かれた口が、どうしても安らかに眠っているとは思えなくて・・・。そんな時、友人がSのインタビュー記事を持って来てくれた。写真のSは口を思いっきり開けて笑っていた。

その写真を見てフと思う。
あ・・・。私、思い違いしてたのかな・・・と。

棺の中のSは笑っていたんじゃないか、って。最期の瞬間、Sは笑顔だったんじゃないか、って。見守るご両親に最期は笑顔で「ありがとう」って言ったんじゃないか、って。

いつも笑顔だったS。だから、最期の瞬間もきっと笑顔だったS。
その笑顔もっともっと見たかったよ。おじいちゃん、おばあちゃんになった時、三人で縁側でお茶飲みながら「うちらもお互い歳取ったねぇ。でも、大丈夫!」って笑いながらさ・・・。

ごくごく平凡だと思っていた願いでさえも、叶わない時は叶わないものなんだね。でも、そう思うと日常の中のほんの小さな些細な出来事であっても、そこに何かを感じたり、何かを思う事は実は凄く大切な事なのかも知れないね。そして、生きるって事はそう言う事なのかも知れないね。