永遠に生き続けるもの

丁度二週間前。友人Sのお通夜にて。
祭壇の横には、Sの作品の写真とメッセージが持ち帰り用として置かれていた。
この写真が、Sが北欧で製作した最後の作品になってしまったのか・・・。と思うと悲しみが深まる。

友人Sは数年来、毎年冬になると北欧で作品を制作していたんだけれども、その作品を制作していた所の方から、告別式にメッセージが届いていた。

メッセージはおおよそこんな感じだったと記憶している。
『春になって、(Sの作品。素材は氷です)は少しずつ溶け、水となり大地を伝って川へと帰って行きます。やがて秋になると、再び川の水は氷となり次の作品を生み出します。ここに大地と川がある限り、このサイクルは繰り返されて行きます。作品に刻まれたSのスピリットもまた同じです。ここに大地と川がある限り、そのスピリットは繰り返し受け継がれて行くのです。永遠に。』

大地と水。そして、この場所で繰り返し永遠に受け継がれて行くSの魂。

この話を東京に住む友人にしたところ、友人はこう言ってくれた。
「この地球の何処かの誰かが、北欧での彼の作品を観て、それを誰かに伝えて、それをまた誰かが誰かに伝えて。それが国境を越えて多くの人に伝わって行くとしたら、記憶に刻まれるとしたら、それは凄い事じゃない!」と。

そう、そう考えると凄い事だよね。何と言うのかな、何かを通じて誰かの記憶に何かが刻まれる。そして、その記憶がある時フとした瞬間に思い出されたりしたら、それはもっと凄い事なんじゃないか!って。記録よりも記憶に残る人、とでも言うのかな。

Sのメッセージには、彼の人生モットーが記されていた。

「・・・wood will be anything・・・
 ・・・nature will be・・・
 ・・・I will be・・・」

こう言う事なのかな。
「・・・木は何かになるでしょう・・・
 ・・・自然があります・・・
 ・・・私がいます・・・」

私は思う。
自然の、そのサイクルの中で、彼の魂は永遠に生き続ける。
そして、それぞれの心の中でもまた、彼の魂は生き続ける、永遠に。