地獄の沙汰も・・・

寺院での仕事は全般的にまったりしたものだったけれども、仕事内容はと言うと、結構シビアなものが多かった。

葬儀、法要、月参り、納骨、各種供養、等々・・・どれも皆、基本的にはお金(お布施)抜きでは語れないものばかり。全ての寺院がそうなのかは判りかねるが、寺院では夫々の内容に応じてお布施の目安があるらしい。

むぅぅ・・・お布施って、お布施って・・・。
私が思うお布施と言うのは、その人が「包みたい」と思う金額を包めば良いのであって、目安を訊かれた際には「お気持ちでよろしいのですよ」とお伝えするものかと思っていたのだが・・・。

まぁ、でも、そんな事を言っていたら寺院の経営は成り立たないのだろうし、お経は一つのサービスで、そのサービスに対しての対価がお布施と呼ばれているだけの事、と言えばそうなんだけれどもね。

サービス、か・・・。
そう考えると、今後は寺院もどんどん淘汰されるような時代がやって来るんじゃないかと思っている。団塊世代がこの世を去って行くであろう後15年前後は概ね大丈夫だろうとは思うが、その後の、団塊より下の世代の葬儀や寺院に対する感覚は、それこそ激変しているんじゃないか、と。

このところ、東京のような都会を中心に「直葬」が増えて来ているのもその予兆なのかも知れない。何と言うか、寺院とか葬儀とかこれ迄は”何となく関わらないワケには行かないような”と思われていたものが、これからは”自分にとって必要無いと思えば関わらなくとも良い”みたいな価値観も増えて行くのかな、と。

何と言うか。
この先、お布施もデフレの影響で”価格競争”にさらされる、なんて事が絶対に無いとは言えなように思う・・・。そうなると、良いサービス(お経)が提供出来ない寺院や、サービス(お経)と価格(お布施)が釣り合わない寺院は淘汰されて行く、なんて事が起こり得るのかも知れない。

競争社会の行き着く果ては、殺伐とした荒涼とした土地で、人々はそこで何に光を見出す事になるのだろう・・・そんな事をフと考えてしまった。