それが悲しみの刹那だとしても

ここに友人Sの旅立ちを見送った自分の気持ちを書き始めて、フと気が付けば5月が終わり6月になっていた。

陰鬱とした梅雨空のように、ひたひたと泣きながらも気持ちを文字に、言葉にする事によって、感情が整理整頓されて行くのが解る反面、悲しい気持ちが癒えて行くには、これから多くの時間が必要なんだな、と言う事を痛感し・・・。

何と言うか、「友人がこの世を去った」「友人のお父さんがこの世を去った」と言う現実が余りにもショックが大き過ぎて、思考回路が”まとも”に作動してくれない、とでも言うか・・・。

ちょっと不謹慎なのかも知れないけれども。

これ迄祖父母をはじめとする親族が亡くなった時、私自身これ程悲しくなかった記憶が・・・。何かこう、夫々の「死」を「そうなんだ」って受け入れていた、と言うか。ただ、自殺した親族にはただただ驚いたけど。て言うか・・・思えば親族の葬儀で殆ど泣いてないんじゃないか、自分・・・(汗)飼い猫の死は受け入れ難くてわんわん泣いたのに・・・(汗)

むぅ・・・この歴然とした「悲しみの温度差」は一体何なのだろう。

おそらく、私にとっての「温度差」は、こう言う事なんだと思う。
東京の友人とこんな話をした。「見知らぬ誰かが誰かと出会うって、実は凄い事じゃない!」と。生まれた場所も、育った場所も違う人間が、或る日何かのきっかけで出会うって、よくよく考えたら凄い確率だよね、って。

今回のケースで言えば、私と友人Mは学生時代学籍番号が前後だったのがきっかけで友人になった。入学式の翌日、K052だったMがK053だった私に「ねぇねぇ、白衣のサイズどうする?」と話しかけてくれたのがきっかけ。Mと友人になれたから、Mのお父さんにもお世話になって。

Sとは、Mと一緒に行った二日間だけのお菓子のモニターのバイトがきっかけで友人になった。バイトの説明が始まって30分程過ぎた頃、大きな黒いバッグを抱えた髭眼鏡ノッポさんが満面の笑みと共に入室。「25歳くらいのスタイリストさん?」かと思っていたら「二十歳の浪人生」だと聞いてMも私も驚いて。「学年イッコ上らしいけど、ウチらと同い年なんだね・・・。ふ・・・老けてるよね・・・」って言ったけ。

バイトが終った日、Sが「これも何かの縁だよね」って、お互いの連絡先を教えて。あの夏の日から私達はずっと友人だった。

Mと学籍番号が離れていたら、Sがあの日あのバイトをしていなかったら、私達は出会って友人になっていなかったのか、と思うとちょっと震えた。夫々全く別々の場所で生まれ育った三人が出会って友人になれた事を思うと、やっぱり震えてしまうんだよね。

「刹那」と言う言葉がある。
本来の仏教語としての刹那は、極めて短い時間。瞬間。最も短い時間の単位。と言う意味を持ち、また、刹那には「刹那という極めて短い時間を大切に生きよ」という教えがあるんだそうだ。

生きると言う事は、刹那を積み重ねて行く事の連続で、刹那を生きる事が即ち人生そのものなのかも知れない。

今、私はきっと間違いなく悲しみの刹那を生きている筈だけれども、でも、その悲しみの刹那も今は大切に生きたい、と思っている。それもまた人生なのだから。

永遠に生き続けるもの

丁度二週間前。友人Sのお通夜にて。
祭壇の横には、Sの作品の写真とメッセージが持ち帰り用として置かれていた。
この写真が、Sが北欧で製作した最後の作品になってしまったのか・・・。と思うと悲しみが深まる。

友人Sは数年来、毎年冬になると北欧で作品を制作していたんだけれども、その作品を制作していた所の方から、告別式にメッセージが届いていた。

メッセージはおおよそこんな感じだったと記憶している。
『春になって、(Sの作品。素材は氷です)は少しずつ溶け、水となり大地を伝って川へと帰って行きます。やがて秋になると、再び川の水は氷となり次の作品を生み出します。ここに大地と川がある限り、このサイクルは繰り返されて行きます。作品に刻まれたSのスピリットもまた同じです。ここに大地と川がある限り、そのスピリットは繰り返し受け継がれて行くのです。永遠に。』

大地と水。そして、この場所で繰り返し永遠に受け継がれて行くSの魂。

この話を東京に住む友人にしたところ、友人はこう言ってくれた。
「この地球の何処かの誰かが、北欧での彼の作品を観て、それを誰かに伝えて、それをまた誰かが誰かに伝えて。それが国境を越えて多くの人に伝わって行くとしたら、記憶に刻まれるとしたら、それは凄い事じゃない!」と。

そう、そう考えると凄い事だよね。何と言うのかな、何かを通じて誰かの記憶に何かが刻まれる。そして、その記憶がある時フとした瞬間に思い出されたりしたら、それはもっと凄い事なんじゃないか!って。記録よりも記憶に残る人、とでも言うのかな。

Sのメッセージには、彼の人生モットーが記されていた。

「・・・wood will be anything・・・
 ・・・nature will be・・・
 ・・・I will be・・・」

こう言う事なのかな。
「・・・木は何かになるでしょう・・・
 ・・・自然があります・・・
 ・・・私がいます・・・」

私は思う。
自然の、そのサイクルの中で、彼の魂は永遠に生き続ける。
そして、それぞれの心の中でもまた、彼の魂は生き続ける、永遠に。

大切な何かが指の隙間からこぼれ落ちた日

その人が、少しずつ、少しずつ、その人では無くなって行く。
その人の姿、かたちはそこに在るんだけれども、その人の意識がそこから離れて行くような感じ、とでも言うのか。

その「感じ」を感じ取ってしまった時、人は途方も無い悲しみと絶望感に襲われる。

「大丈夫?」
2、3秒後「う・・・ん・・・」と答えるSの声が聞こえる。
その声でSの状況を察してしまった私は、携帯を持つ手が震えて止まらなかった。

この時Sは既に生まれ故郷に戻っていた。
大学病院を出た、と言う事・・・。祖母の時がそうだった。もう、ガンを治すと言う事に於いては治療の術が無くなった、と言う事。そして、そう遠くない未来に必ず命の期限の日がやって来る、と言う事・・・。

Sの声を聞いた瞬間、意識が朦朧としているのが解った。
意識が朦朧としているのは、そう・・・おそらく鎮痛剤としてモルヒネを投与しているから・・・。Sの病状が、もう既にその段階に入っているなんて・・・。

電話の向こうから咳き込む声が聞こえる・・・。
おそらく肺炎を併発している・・・。そう思うと、もう、いたたまれなくなって・・・。「大丈夫だよ。良くなるよ。祈ってるから!・・・今日はもう切るね。おやすみ・・・うん・・・おやすみ」と、泣きながら震える声で言う私。少しの間の後Sは「う・・・ん・・・」と言って・・・。

この時、何故か私は自分から電話を切る事が出来なかった。
きっと、一秒でも長くSと繋がっていたかったんだと思う。一分程過ぎても電話は繋がっていた。「どうしたの?」と問い掛けても返事はなかった。更に数分経っても電話は繋がっていた。もう、電話を切る事も出来ないくらいSの意識は朦朧としてしまっている・・・。そう思うと、益々涙が溢れた。

意識が朦朧としているのにSは電話をかけてくれたんだ・・・。だからこそ、悲しいけど多分もうこれ以上Sと繋がっていてはいけないんだ・・・。そう思うと私は「おやすみ、もう切るね」と言って電話を切って・・・。

この瞬間、ぎゅっと握り締めていた手の、指のほんの僅かな隙間から、とても大切な何かがこぼれ落ちてしまったような感覚に襲われた。そして、こぼれ落ちてしまった何かは、すくい上げる事も出来ず、戻って来る事もないような気がして、震えと涙が止まらなかった。

その後、私は何度かSに電話やメールをしたけれども、Sが電話に出る事も、メールの返事が来る事もなかった。

あの日が、Sと最後に話した、最後にSの声を聞いた日になってしまった。Sが旅立つ一月前の事だった。

悟り、無、在るがまま。それは説明のつかない何か。

「仕事断った・・・うん・・・全部、断った・・・」と呟いた友人Sの声は、果てしない哀しみを孕んだような声に感じた。
無言で頷きながら私は言う「今は体調回復に専念して、体調が良くなったらまた(仕事を)するといいよ」と。

この時、Sは三種類目の抗がん剤治療中だった。
三種類目・・・そう、最後の抗がん剤治療。一種類目と二種類目は、結果として効果が現れなかったと言う事か・・・。三種類目の抗がん剤は、日本製だからなのか副作用が前のものよりも少ないと言っていたS。「嗚呼、それは、きっと効果があったって事なんだ!」と一瞬安堵した私。

でも・・・。私、ぼんやりとだけど分かってしまったんだ。君の声の感じで・・・。君の体調が相当良くなくなって来てしまっているんじゃないか、って事を・・・。

肺ガンが相当良くない状態だと判った後も、入院中であるにもかかわらず、外出許可を取って仕事をしたと言うS。そして、どうしても無理な仕事は代役を立て指示を出して完結させたとのだと。それ程迄に自分の仕事に深い思い入れのあるSが、仕事を断る決断をしなければならなかった事は、どれほど辛く、悔しく、悲しい事だっただろう。考えただけでも胸が苦しくて涙が込み上げて来るよ・・・。

それ迄病気については、穏やかに、静かに、淡々と、時に説法するかのように話していたS。でも、この日は何故だか違うような気がしてならなかった。私には、Sが何かを悟ってしまったような、悟りを啓いたとでも言うのか・・・。何かこう、Sの眼差しや声から「無心」と言うか「無」そのものみたいなものが感じられて・・・。うーん、上手く言えないんだけれども、在るがままの自分を見、そして、在るがままの自分を受け入れている、とでも言うのか・・・。

何とも言えない気持ちを抱きながらも大学病院を後にする時、Sはエレベーターホール迄見送ってくれた。エレベーターが来るのを一緒に待ってくれていたんだけれども、点滴をしたままのSに申し訳なくて、「大丈夫、一人でエレベーター乗れるから。それに、ほら〜私が立たせてるみたいじゃん?」と悪態をつく私にSは笑いながら言った。「大丈夫〜、大丈夫って!」と。その笑顔は優しかった、とても。

そして・・・。
何とも言えない気持ちを抱いたこの日が、最後にSと会った日になってしまった・・・。

それは、きっと笑顔だった。

「お互いに歳とって、おじいちゃん、おばあちゃんになったら、その時は縁側でのんびりお茶でも飲もう」と言う友人Mと私に向かって、「アハハ!何だよーそれ」と口を思いっきり開けて屈託の無い笑顔で答える友人S。

思えば、Sは何時だって笑顔の人だった。
Sは時として厳しい事も言ったりするんだけれども、その後は必ず「大丈夫!」と言って、口を思いっきり開けて笑ったっけ。その笑顔を見ると、何だかホッとして。きっと、たくさんの人がSの笑顔にホッとしたり、癒されたりしたんだろうな、と思う。

私の中では、笑顔のSの印象が強いからなのかな・・・。棺の中のSを見た瞬間心臓が止まりそうになって・・・。本当に君なの?って・・・。

どうして・・・。棺の中のSは私達の知っている君じゃない・・・。今、私達悪い夢でも見てるのかな・・・。そうなのかな・・・。

施された化粧、違和感のある骨格、そして、半分ほど開かれた口。
Sの闘病生活がどれほど辛く苦しいものだったのだろう・・・。最期は呼吸が苦しかったのかな・・・それとも何か言いたかったのかな・・・だから、口が開かれているのかな・・・。そう思うと涙が止まらない。そして、悲しい感情を抑えられない。

Sの旅立ちを見送って数日の間、棺の中のSの顔が頭から離れなかった。開かれた口が、どうしても安らかに眠っているとは思えなくて・・・。そんな時、友人がSのインタビュー記事を持って来てくれた。写真のSは口を思いっきり開けて笑っていた。

その写真を見てフと思う。
あ・・・。私、思い違いしてたのかな・・・と。

棺の中のSは笑っていたんじゃないか、って。最期の瞬間、Sは笑顔だったんじゃないか、って。見守るご両親に最期は笑顔で「ありがとう」って言ったんじゃないか、って。

いつも笑顔だったS。だから、最期の瞬間もきっと笑顔だったS。
その笑顔もっともっと見たかったよ。おじいちゃん、おばあちゃんになった時、三人で縁側でお茶飲みながら「うちらもお互い歳取ったねぇ。でも、大丈夫!」って笑いながらさ・・・。

ごくごく平凡だと思っていた願いでさえも、叶わない時は叶わないものなんだね。でも、そう思うと日常の中のほんの小さな些細な出来事であっても、そこに何かを感じたり、何かを思う事は実は凄く大切な事なのかも知れないね。そして、生きるって事はそう言う事なのかも知れないね。

どこか空よりももっと遠いところ

「今日は外が白いんだね」と言って窓の外に視線を移すS。
「朝から雪が降ったり止んだりしてるんだよ。もう、すっかり春の筈なのにね」と白い理由を答える私。「そっか」と言って再び窓の外を見るSの瞳は、どこか空よりも、もっと遠いところを見ているようで思わず心がざわつく。

外が白かったこの日、Sから余りにも悲しい話を聞く事になるなんて・・・。
少し前にSに会いに来ていた外国人の友人が、帰国して間もなく突然亡くなってしまったのだと・・・。心筋梗塞で本当に突然の事だったらしい。

Sのノルウェーの旅の写真を見せてもらった時に、この友人を見た記憶があるのと、今回、Sの依頼でこの友人の札幌でのホテルと東京⇔札幌間の航空券の手配をして、何度も名前を聞いたり書いたりしていた事もあり、何と言うか全くの他人の気がしない、と言うか。

友人達が札幌に滞在している間、Sは「飛行機問題なかったよ」「ホテル凄く気に入ってくれたよ」「ホテル凄く喜んでたよ」と日々連絡をくれた。彼等が喜んでくれた事と、Sがとても楽しそうで私は凄く嬉しかった。Sからのメールは日々内容は同じだったりするんだけれども、最後には必ず「ありがとう!」の文字があって、何だか申し訳なく感じた。だって、皆が楽しそうで私は凄く嬉しかったから。だから、「ありがとう!」を言うのは私の方なんだよ、って。

それなのに。
突然亡くなってしまうなんて・・・。どうして・・・。こんな悲しい事があっていいの?おかしいよ、こんなのおかしいよ・・・。

医師からは最終的にSのノルウェー行きの許可は出なかったんだそうだ。
もう、Sの悲しみ、辛さを思うと涙がどっと溢れて止まらなかった。Sから健康も友人も、大切なものを次々と奪う悪魔を心底憎んだ。Sが一体何をしたって言うんだよ。

Sの友人が旅立って二ヵ月後。Sも友人のところへ旅立った。
あの外が白かった日、Sは旅立った友人がいるであろう空よりももっと遠いところを見ていたのだろうか。

魂が肉体を離れても、魂に刻まれた記憶は決して離れる事はないんじゃないかと思う。何度生まれ変わっても、魂に刻まれた記憶によって人は導かれ出会いと別れを繰り返すんじゃないか、って。きっと、現世で出会ってる人とは前世でも出会っていて、来世でもまた会える。一寸オカルトちっくだったかな・・・。

あの外が白かった日に何処からか聴こえて来た歌。
 
Sはもう空の向こうで友人に会えたのかな。

そこにいてくれるだけで。

「だって、ハズ言ったじゃん!コレがあればいいから、って!!!言ったじゃん!!!」
大学病院のスタバで、Sは強い口調でそう言うとアドレス部分をビリビリと千切って「ほらっ!」と言って私に差し出した。

「ごめん・・・私の言い方が良くなかったよね・・・ごめん」
「コレでいいんでしょ!コレでいいって言ったのハズなんじゃないの!!」
Sの怒りは収まらない。Sを気遣って発したつもりの言葉が、Sを怒らせてしまうなんて・・・。

Sに病室迄今手許にあるのと同じ内容の資料を取りに行ってもらうのは申し訳ないから、アドレスさえ判れば私が調べるよ、大丈夫だよ、って言いたかっただけのに・・・。決してSの事を否定したワケではないのに・・・。

そして、不機嫌そうにSは言う「早くソレ飲み終えて」と。
さっさと帰って、って事ね・・・。何、この追い討ち状態は・・・。それに、こんなに怒ったSを見たのは初めてだよ・・・。

「直ぐに飲み終わるから、部屋(病室)に資料取りに行こう」と言ったものの、Sは無言・・・。飲み終える迄の間もそっぽを向かれたまま無言・・・。エレベーターの中でようやくSが口を開く「ハズ言ったじゃん・・・」と。あああ・・・もう・・・。「いや、だから、ごめん・・・。全部悪いの私だから。だから、ごめん、って」次の瞬間Sの口から「あーうるさい」と言う言葉が・・・。同乗していたおじさん、思わずビクッとしていたよ・・・。

Sを気遣ったつもりの言葉が、こんな展開になるなんて・・・。
「うるさい」言われ、相当落ち込んで大学病院を後にした自分・・・。邪魔者扱いされたような気がして、駅までの道程で思わず泣きそうになる始末・・・。

その夜。
Sから「今日はなんだかごめんなさい。もう寝ますね。おやすみなさい。」とメールが来ていた。その時、テレビから聴こえて来た歌が何だか心にズキっと来た。

その歌が何だか凄く気になって調べたみたら、ラムジのユメオイビトと言う曲だった。サビの部分は「ありがとう、今、君がいる。それだけで僕はいいんだよ」
と言う歌詞。たとえ「うるさい」と言われようが、あの日、Sは確かに私の目の前に居たんだ、と思うとやっぱり泣いてしまうんだな・・・。